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02/07のツイートまとめ

afterfinitude01

RT @dessinatrice001: 罪は、普通考えられるように、盗んだり、嘘言をついたりすることではなかった。罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。遠藤周作『沈黙』
02-07 20:28

胸を打たれるのは、『天地始之事』を今でも信じ、かくれキリシタンの信仰を守り続けている人々が長崎の生月、平戸、度島、大島、そして聖地としての中江ノ島に存続している事実。ここではイエスの役割の多くはヨハネ(じゅわん)信仰に代替されているという。
02-07 20:25

ゑわ(エヴァ)あだん(アダム)さんがむりや(大天使ガブリエル)でうす(神)じゆすへる(ルシファー)ぱつぱ(教皇)——『沈黙』に描かれた村人たちの信仰のその後を考える上でも、『天地始之事』は非常に興味深いテクストだろう。
02-07 20:23

ばつしよ(受難)じゆすきりしと(イエス・キリスト)じゃりしやれん(エルサレム)かるわりやう(カルヴァリオ)ぱらいそ(天国)いぬへるの(地獄)ふるかとふりや(煉獄)じゆうだつ(ユダ)おらしょ(祈り)びるぜんまるや(処女マリア)さんじゆわん(洗礼者ヨハネ)
02-07 20:19

『天地始之事』の特異な表現の大半はポルトガル語とラテン語の九州訛り。発見されることを怖れて暗号的で独特な語が用いられた模様。私はこうした表現のひとつひとつの奥に強靭な信仰を感じる。以下は代表的な語彙。ぱあてる(御父)ひいりよ(御子)すべるとさん(聖霊)こんちりさん(痛悔)
02-07 20:17

特に美しいのは、マリアが身籠る直前に口の中に「蝶」と化した聖霊が入ったという原典にはない無原罪受胎の挿話。この時のマリアを本文では「花冠」に喩え、胎内のイエスは「御実」として植物の受粉のイメージが重ねられている。ここは圧倒的な描写で、読みながら心が震えた。
02-07 20:16

『天地始之事』は禁教令下で司祭不在となった際、かくれキリシタンたちが記憶を頼りに独自に『創世記』、各福音書、使徒信条などを仏教用語や神仙思想を織り交ぜて再構成したもの。読了してまず気付いたのは、「動物」にキリストを理解できる存在としての地位を与える非人間中心主義的な発想の豊かさ。
02-07 20:16

『天地始之事』(発見者プチジャン神父の書簡の表記は《Tenchi no Hajimari no coto》)はキリシタン史料の中でも特に多くの研究者を惹きつけ、文化的に様々なアダプテーションを受けてきた彼らの聖典。諸星大二郎の有名な「生命の木」でも物語の核として登場している。
02-07 20:14

『かくれキリシタンの聖画』(小学館)読了。民俗学者の谷川健一編集、かくれキリシタン専門の風景写真家中城忠による構成。本書には1865年に浦上で写本が発見された重要文献『天地始之事』の全文と仔細な註釈から、生月、平戸などに伝承する聖画、メダイ、祭壇の貴重な写真が収録されている。
02-07 20:13

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