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02/16のツイートまとめ

afterfinitude01

RT @lunar_shirayuki: 実は洗礼を受けようかなと思いはじめてきてるけど、洗礼名は聖カタリナから戴きたいな https://t.co/LKxHzZtgj0
02-16 20:42

内村鑑三の『ヨブ記講演』は1920年に東京丸の内で開催された講演を筆記したもので、その魅力はなんといっても生きた彼の声の衝迫にあると思う。不敬事件後の失職、自身の病、妻の病死、ジャーナリズムからの悪罵という失意と哀しみの中で、ヨブに自己同一化しつつキリストを見出した男の奇跡の書。
02-16 00:38

内村はこれがcaritasだと位置付けつつ、苦のcommunioが生起するのは神と人との仲介者であるキリストを通してだという。ヨブ記はキリスト以前にこれを暗示、予兆した点で「聖書中の真理が悉く含まれている」(p77)。いうなればmiseriaは恵への反転可能性を秘めるのだと。
02-16 00:29

communioは、換言すれば苦のdivido(分割)、苦悩を領土として捉えた場合のdivide et impera(分割統治)であり、これは人の苦を神が同時に背負うということ。communioはラテン語で聖餐式、霊的交感、自省などとも派生してくるので特に重要な概念だろう。
02-16 00:20

まず、人(ヨブ)は生きている限り常に何らかのmiseriaに直面する。この時、苦が人を神に向かわせるのではなく「神に捉えられた」(p115)と内村は解釈する。ここで神-人という二項関係におけるmiseriaのcommunio——つまり苦悩の共有が起きる。
02-16 00:14

内村鑑三の『ヨブ記講演』における神概念は、⑴miseria(苦悩、悲惨)⑵communio(共有、共同性)⑶divido(分割)⑷caritas(愛徳)という四つの概念によって現実に応用可能なレベルで把握できると思う。同時にこれはヨブ記を読み解く重要なキーワードにもなっている。
02-16 00:09

内村鑑三『ヨブ記講演』を11講まで読み進め、ようやく本書の核となる概念が幾つか見えてきた。内村自身は主にcomfort(力を共にする、力を分つ)などの英語でヨブ記の本質を捉えているが、カトリックらしく私はラテン語で概念化しておこうと思う。以下は読書記録から要諦を再構成したもの。
02-16 00:03

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