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02/20のツイートまとめ

afterfinitude01

換言すれば、後期デリダは「教条的な信」を批判しているのであり、あらゆる宗教に内在すべき、異質で特異で受け入れがたい他者といかに衣食を共にするか、彼らの立場に立てるかという「反省的な信」に今日的な倫理の可能性を見出している。だからこそ、絶対的に場を持たない「コーラ」が再評価される。
02-20 21:57

デリダのメシアなきメシアニズムは、「来るべき復活の神」というキリスト教的パラダイムを引きずるメイヤスーの神論(「亡霊のジレンマ」)とは明らかに異なる。彼はむしろ宗教と倫理を差異化し、たとえ宗教に属さなくても実現可能な「他者」の歓待に立っている。この点ではレヴィナスを相続している。
02-20 21:48

キリストをメシアだと主張することは、キリストを持たない人との対立を生み出す。「寛容さ」、「他者の特異性」を歓待する精神を最優先させるデリダは、あらゆるメシア、ないし宗教的制度をエポケー(砂漠化)した上で、究極的な残余である倫理を改めて復権させている——他者を家に招くということ。
02-20 21:39

後期デリダの重要概念「メシア的なもの」が「根源悪がいついかなる時にでも不意に襲う可能性のあるところにおいてのみ」(p43)成立するとされる点は、やはり強調されるべきだと思う。複数の民族、宗教が混在する地域において、個人的な信念の主張が時に諸刃の剣になるジレンマをいかに解消するか。
02-20 21:33

本書は『たんなる理性の限界内における宗教』でカントが規定した宗教の二源泉、⑴祭祀・崇拝の宗教、⑵道徳的な宗教のうち、キリスト教が代表する後者の「reflektierende(反省的な)信」の可能性を移民問題やグローバル・ジハードなど国際的な視点も含めて再検討し、深化させる試み。
02-20 21:23

ジャック・デリダ『信と知——たんなる理性の限界における「宗教」の二源泉』所収「イタリック」読了。デリダの宗教論を読むのは『死を与える』、『コーラ』、カプートとの対話録以来久々だが、いかなる宗教にも属さない倫理の可能性を「メシア的なもの」、「コーラ」を介して真摯に析出している。
02-20 21:17

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