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02/22のツイートまとめ

afterfinitude01

スコセッシ版『沈黙』がこれほど受容されているのは、この作品が本質的に神と人との間で結ばれるsacramentumであり、生身の他者とのそれではなかったからだとすれば......?
02-22 23:10

デリダがカントの『たんなる〜』をアップデートするのは、現代社会がそれほど他者を信頼できなくなりつつあるシグナルでもある。神との間ではむしろ容易にresponsabilitéは成立するが、他者の特異性には警戒を抱き、「約束」は経済的な贈与関係以上にはなり得ない。
02-22 23:02

読みながら問いを持つこと。例えばメシア的なものは約束した他者を「待つ」ことを含意するが(それこそ洗礼者ヨハネのように)、待っているだけで果たして根源悪の危険に曝された地域で有効な実践に繋がるのか。それこそ、能動的に傷付いた他者を「匿う」、「幕屋に誘う」とまで言うべきではないのか。
02-22 22:50

デリダと共にresponsabilitéについて再考しなければならない。「来てください」——その呼び掛けに「然り、私は来る」と応答する他者について。そして約束が蹂躙された時、「正義」の名において復讐を正当化するfoiと不可分離的なressentimentについて。
02-22 22:42

『信と知』で展開される重要概念を図式化しておくと、こんな具合だろうか。デリダの中でmessianiciteé/foi juréeは共にreligio概念を構成し、かつ代替する。信の骨格にあるのは「約束」したことを守ること、あるいは… https://t.co/ayHhGRDEKM
02-22 22:26

デリダのreligion概念は、・一度神から離散したが再び結び合わされる。・家族を失ったが別のかたちで新たに家族関係が再形成される。・失った友情、絆が再び結び合わされる。といった多義性の紐帯へと開かれていて、私はそこにカトリックにも通底する道徳を見る思いがする。
02-22 22:14

バンヴェニストはこれを「新しい選択のためにもう一度取り上げること、かつての歩みへともう一度戻ってやり直すこと」(p95)を意味するrecollecter(再び集める、沈思黙考)の意味で取っていて、実はデリダもこれをreligio概念を思考するベースに用いている。
02-22 22:02

『信と知』「ポスト・スクリプトゥム」で展開される翻訳不可能なものとしてのreligio(通常は「宗教」と訳される)の語源学的解釈によると、relegereとreligareには共通して「再び結ぶ、再集合する」という意味があるという。
02-22 21:59

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