† Twitter †

03/05のツイートまとめ

afterfinitude01

宗教というものを信じなくなってもいいし裏切ってもいい、そういった離反の歴史なくして信仰は再び起こり得ないし、活性化もしない。ただしどの宗教も根底に「分離をもたらす他者」を受け容れられるだけの精神は持っていて欲しい——後期デリダの宗教論をソフトに整理するとこんな具合だろうか。
03-05 22:29

既に読了した『信と知』について若干補足しておくと、終盤部で「失望=幻滅(脱魔術化)こそ宗教的なものの資源そのものである」(p162)と明言している箇所にもreligio概念が活用されていると言える。離反する/再集合するという少なくとも二つ以上の意味がこれに折り畳まれている。
03-05 22:22

一から多へというプロセスと、多もいずれは一に回帰するという包容、包摂の論理がある。神という中心(頭部)が前提になるので、頭部を常に可変化できるVdCの離接的綜合(横断的シャーマニズム)とはネットワークの形式が異なる点に注意したい。
03-05 22:10

ベーメは瞑想についても言及していて、その辺りを図像化して捉えると得るものが多かった。神の愛と知恵が漲る「無底」はいわばフラスコの底面の温水のようなもので、誰もが瞑想を通じてフラスコの穴から下方へ、下方から底へと降下し、無底において… https://t.co/HhAKJsoeaZ
03-05 22:02

ヤコブ・ベーメ『キリストへの道』第六巻「神を見る高貴な門(1623以前)読了。ベーメのいう「神的流出」の概念を系統樹、樹形図、ツリー的な回路として捉えると理解が深まる気がする。つまり根は幹と接続しているので、神にとっては世界の細部も自己自身という考えに至る。
03-05 21:45

「右近は生涯のどこかで神と一対一で出会った決定的な瞬間があったのではないか。・・・そのときの衝撃的な記憶が、他のキリシタン大名と一線を画して、右近を生涯、ゆるぎない信仰者へと導いていった」クリスチャントゥデイ https://t.co/ePmSOVcotN
03-05 16:43

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next