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03/13のツイートまとめ

afterfinitude01

私にとってキリストは未だに驚異であり続けているので、もし仮に同時代で彼の御業を目の当たりにすると、足が震えて涙が止め処なく溢れてくるような気がする。今まで読んだどの本も、福音書に書かれた神秘以上に私を根底から畏怖させたものはなかった。それは読む、という経験に還元されなかった。
03-13 17:19

私がキリストに再会できたのは、これを魂の奥底で濃密に感じ取ったからだと思う。洗礼を受けて来年で10年。私の霊的な師だったカルメル会のシスターが京都へ移って6年、私が東京で暮らし始めて3年——キリストが布教を開始したのが30歳だったとすれば、私は今、彼とようやく同じ年齢になった。
03-13 17:12

私の祖父は74歳で逝去したが、私自身も同じ年齢でこの世からいなくなると仮定する。彼は死ぬ間際に自分の人生について何を想うだろう。何を価値あるもの、未来にも残り得るものと考えるだろう。人生の礎、羅針盤は何であっただろう——こうした死の到来の「近さ」に寄り添うことで見えてくるもの。
03-13 17:03

Twitterをやり始めて間もない頃と現在とを比較すると、日々の感情の細部を小説ないし詩の形式で言語化することに、より洗練された散文への態度を見出すようになった——より単純に言えば、tweetすることで何かが満たされてしまう場合、それ以上の作品化が起きないリスクを自覚すること。
03-13 16:52

『複雑性のエコロジー』を読んでいると、篠原雅武の自伝的要素(写真、過去の想起)とティモシー・モートンについての評論は重層化されている。いわば私小説的な評論。形式は書きながらパフォーマティヴに決定され、かつずらされていく。
03-13 16:34

ド・マン「磨損としての自叙伝」にあるように、あらゆる自伝的試みが不可能であるにせよ、自分の過去を遡行して言語化する行為それ自体に価値がある。例えばシャワーを浴びている時に不意に想起したある光景——それについて書くうちに解釈が多層化して過去に別の新しい意味が生まれていく。
03-13 16:23

一年半ほど前からスローペースで執筆している長編小説だが、この二ヶ月で400字詰換算250枚に達した。元々、プルースト的な無意志的想起を採用しつつ、順序立てた半自伝をベースにして自由に書き始めたもの。ここ最近は特に主人公の信仰についての省察で得るところが多かった。
03-13 16:14

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