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03/18のツイートまとめ

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兄ウィリアムが『宗教的経験の諸相』で引用する数々の心霊体験は、弟ジェイムズの『ねじの回転』や「エドマンド・オーム卿」、「友だちの友だち」などの心霊体験をベースにした作品群の壮大な脚註になっている。
03-18 13:11

心霊現象——とりわけ「目には見えないもの」を感じることに興味を持つ者はウィリアム・ジェイムズが豊富な例から述べたように宗教的である。神でなくとも幽霊は信じる者、幽霊は信じなくともなんとなく鬼門を避ける者、星座占いをなぜかその日のモチベーションにしてしまう者なども同様である。
03-18 13:05

芸術は制限的に人を救済する。救済の補助になる。例えばイコノクラスムに対する反論で、キリストの絵が文字を読めない人にとっての言葉になると考えられたのもそのためである。ただし、審美的要素が自己目的化している場合は、美学的な対象にはなっても信仰には無益である。
03-18 12:55

実生活において我々はある日突然に変革を迫られることがある。頭のどこかでぼんやりと「まあ起きないだろうな」程度に想定している出来事なら明日にでも起こり得る。問題は「確実に起こり得ない」と信じていることが起きる場合で、これがメイヤスーのいう事実論性のレベルである。
03-18 12:48

キリストの復活、水上歩行や悪魔祓い、死者蘇生などの数知れない御業は、「自然法則それ自体が明日にでも変容する可能性を持つ」というメイヤスーの主張によって裏付けられる。彼の概念は単に超弦理論などの物理学と並走しているだけではない。
03-18 12:38

キリスト教とメイヤスーの事実論性の原理(俗に言うハイパーカオス)は相容れないのではない。むしろ逆であり、ベルナルドゥス・シルヴェストリスの展開した創世の黎明期にも擬人化されたカオスが設定されている。混沌が秩序を持ち調和に至る過程として神の智恵が発現する。
03-18 12:30

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