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06/04のツイートまとめ

afterfinitude01

『奇子』ラストの洞窟と『火の鳥黎明編』ラストの洞窟って、別の物語だけど手塚の無意識の中で同じ原理に基づいているのかも。要するに、彼は制度や規範から「自由」を取り戻すまでの運動が描きたいわけだ。あるいは、それに幽閉された状況において権力とエロスはモラヴィア的に一体化して描かれる。
06-04 20:53

あっ、そうそう。手塚治虫『奇子』も息抜きがてら読んだんだけれど、これがまた素晴らしかった。何度か鳥肌が立ったっけ。国家権力の暴走を家父長的な旧家の悲劇に重ね書きして描く点は構造的に『熊座』とまったく同じ(近親姦の設定まで)。手塚の真骨頂はその大人向けのダークサイドにある。
06-04 20:44

別によく言われる「邪悪さ」は特に感じないんだよな、この作家。たぶん出版社の宣伝のイメージをそのまま鋳型にしてしまっている読者が多いのかもしれない。「邪悪さ」というのは、そう易々と文学で表現可能なものでもない。
06-04 20:32

資料以外で読んだ本で最近良かったのはジャクスン『絞首人』だろう。特にラストには懐かしさすら感じた。十代後半の頃、私は「廃墟美」に取り憑かれていてよく小説の舞台に廃墟化した遊園地や教会を採用していたけれど、この作品のラストにも香ばしい終末観の漂う廃遊園地が登場する。
06-04 20:28

RT @dessinatrice001: 「発明し、創造する以上、ひとはカオスへと向かうのであるが、カオスと実際に合流すること以上に忌避されることは何もない。我々は創造する傾向を支配するカオスへと絶えず接近しなければならないのと同時に、カオスへ陥ってしまうことを絶えず防がねばな…
06-04 20:16

RT @dessinatrice001: 「ある哲学者の理解を試みるにあたって、厳密な解釈を採るのではなく、その哲学を再構成する可能性を模索することには、どんな場合であれ一定の価値がある。何故なら、再構成が部分的であればあるほど、自分が本当は何を論じているのかを確認することがで…
06-04 20:15

RT @Situations01: 「私は自分を完全主義者だと思っている。書かれた原稿、撮影されたフィルム、描かれた絵画といったものは額に汗して得なければならない」ルキノ・ヴィスコンティ(1962年)
06-04 19:57

RT @Situations01: 「『地獄に堕ちた勇者ども』では、歴史映画とは別の形でナチズムの誕生の歴史を語りたかった。…これは観客にショックを与え、登場人物たちによってある種のカタルシスを引き起こすことを狙った作品である」ルキノ・ヴィスコンティ(1969年)
06-04 19:37

一つだけ言い添えておくと、現在の私が「政治的なもの」との関わりの中でこそ、宗教と倫理は考察されなければならないと捉えている点は、この論文の方向性の一つである「デリダとシュミットのあいだで」に現れているかもしれない。
06-04 19:10

この論文は年内に(早ければ8〜9月以内)確実に出版するので、内容紹介や目次構成を見れば、おおまかにどのような論文なのか認知することはできると思う。時機を見て紹介はしていきたい。
06-04 18:48



情報開示を制限し始めると、書きたい欲求が高まる。Twitterで「少しくらい書いてもいいかもしれない」程度の内容でも、あえて書かない。私はその抑圧をどこかで楽しんでいる。Twitterに書いて流れ去らせることに委ねるには、どうしても抵抗が働く。
06-04 18:44

何をどのように論じているか、といった具体的な内容については、現時点ではまだ何もSNS上で公開していない。以前のように読書記録のツイートを残したくなることもあるにはあるけれど、今はあえてそれを制限することで論文に全ての労力を投じている。
06-04 18:39

論文、5000字ほど加筆。ようやく、書きたかった次元にまで議論構成を筋道立てた。
06-04 18:33

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