† 小説草稿 †

亡命





 僕らがナチスの脅威を怖れて、アメリカへ亡命してから今日で一週間が経過した。母方の叔父の別荘がある西海岸の静かな入り江が、僕ら家族の最後の避難地だった。命だけは助かったが、父も母も財産のほぼ全てを失ってしまった。残されていたのは血族間の絆だけだった。だが、僕らの傷はまったく癒えてはいない。姉のリベカは今でもおぞましい光景が頭を過って眠れないでいるし、食事も手に付かない有様のままだ。ナチスの存在は、僕ら家族に決定的な破壊を齎した。ただ生まれがユダヤ系であるというだけで、なぜこれほど理不尽な暴力を被らねばならなかったのだろうか。僕はその意味を問うために、今日もこうして陽が沈むまで水平線を眺めているが、自然はその答えをけして教えてはくれない。
 海の静けさと美しさが、逆に僕の心を苦悩の淵へと追いやっている。本来なら、この人気のない海辺と友達になれたはずだ。それなのに、海は絶対的なまでに平穏な秩序を押し通していて、僕らの家族に起きた混沌に目も向けはしない。海は、水平線は、夕陽は、そしてあの海鳥たちは、単にそこにあるだけなのだ。彼らにとっては、ナチスもユダヤ人も意味をなさない。そう、自然であれば全ての存在を分け隔てなく受け容れたはずだろう。僕が今、虐げられた孤独な苦しみを感じているのは、誰もなぜ僕らがこのような不幸に突如として襲われたのか、それを教えてくれないからだ。歴史学を教えていた父も、ピアニストだった母も、平穏な毎日が突然終わるということの究極的な理由を教えてはくれなかった。きっと誰も、なぜこうなってしまったのかについて、正確に答えてはくれないだろう。僕が知りたいのは、僕らユダヤ人の血の歴史でも、ドイツの歴史でも、人間集団が狂気に取り憑かれるメカニズムでもない。ただ、僕は知りたいのだ。なぜ、神がこのような事態が起きることを認めたのかを。
 いったいどうすれば、今も収容所で恐ろしい目に合っている同胞たちを救えるだろうか。両親が文化人で親戚にアメリカ人の富豪がいたというだけで、僕らはドイツから逃れることができた。だが、このことは僕の魂に暗い罪悪感を植え付けもした。家が奪われたとはいえ、僕ら家族四人はまだ生きている。それも、当時は想像さえできなかったこんな大自然の恵まれた別荘に移り住んで。叔父が僕に諭したように、迫害を受けたユダヤ人の中でも僕らはまだ恵まれている方なのかもしれない。だとすれば、なぜ、これほど僕の意識は不安と絶望と孤独に苛まれ続けているのだろうか。退屈な学校に通い、帰宅すればリベカと口喧嘩をしたり、ゲーテの詩集を読んだりして時間が流れていく、そんなありふれてはいるが平穏で幸せな生活だった。だが、突如として僕らは人類の敵にされた。口汚く罵られ、路上で丸裸にされて将校たちに小突き回されたこともあった。それでも、僕にとってこうした肉体的な屈辱は真の絶望ではなかった。歯を食い縛り、自分が本当に薄汚い野良犬だと信じ込んでしまいさえすれば、どんな屈辱も受け流すことができたからだ。真の地獄は、むしろ亡命先のこのアメリカでの暮らしにこそあったのだ。より正確に言えば、そこで僕が今も命だけは繋ぎ止めながら、どこかで同胞が今日も惨殺されているということを絶え間なく意識しなければならない、この虚飾に満ちた平穏さにこそあったのだ。
 僕の魂は永遠に引き裂かれてしまった。父の書斎で見つけた分厚い白紙のノートを用意して、そこで自分の今の感情を整理しようともしてみた。だが、ペンが綴るのは不条理、哀しみという二つの言葉で彩られた絶望的な告白だけだった。世界は




















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