† ピエール・ブルデュー †

『日常に侵入する自己啓発』メモ









⑴「自己啓発書」市場の特徴

Ⅰ「自分自身の人生をモデルにして売り込む」

 自己啓発書の特徴として、「自分自身の人生をモデルにして売り込む」点がまず挙げられる。これはブルデューの定義する「倫理的前衛」の概念に当てはまる。つまり、「常にモデルとして、自分の作り出す生産物の価値の保証として自分自身を売って」おり、また誰よりも「自分の呈示し体現するものの価値を信じている」人々である。啓発書の著者たちは、自分の人生を差し出して、自身のアイデンティティを証明し、またそのアイデンティティの確立法を世界に向けて発信している。

Ⅱ「内容よりも著者の有名度が決め手」

 自己啓発書の市場では、実は「文化媒介者」(編集者)によってある程度「売れるフォーマット」が用意されている。著者は自ら、あるいは編集者と協力してこうしたフォーマットに原稿を落とし込んでいく。また、実質的に自己啓発書では「内容」よりも著者の「有名度」(芸能人や有名スポーツ選手など)、換言すれば著者の「人称性」(キャラクター性)が重視される傾向がある。そこには著者自身による「印象管理」(セルフブランディング)も関与している。この点について、牧野氏は以下のように分析している。

Ⅲ「誰しも意識、習慣を変えるだけで成功できるという話術」

 実質的に、自己啓発書の著者は自らの成功点を普遍化するために、読者には「意識の持ち方」次第で自分のように変身できる、という自己隠蔽化されたレトリックを用いる。経済的、社会的背景が決定要因となっている場合ですら、単純に毎日の「習慣」を少し変えるだけで、あたかも大変化が起きるかのような話法を駆使するという共通点がある。この点について、牧野氏は自己啓発書にはブルデューのいう「誤認」の概念が見出されると指摘しつつ、以下のように分析している。

啓発書はより多くの読者に訴えかけるための形式的な手続きとして、家庭環境が媒介する学業達成、それが媒介する社会的威信の高い企業への就職、またそれが媒介する社会関係資本の形成、そしてそれらすべてが高める「成功」の可能性といった(教育)社会学的諸想定を顧みず、成功、スキル形成、自己実現を「自己管理」の問題へと、「基本に徹する」という個々人の心掛けの問題へと切り詰めるのである。つまり啓発書が説く「成功」は一見して、獲得的文化資本へのコミットメントをさらに下支えする、社会空間のなかで偏って配分されている経済資本・文化資本の所有状況とある程度の関係を有するようにみえるのだが、「成功」を司る変数としてそうした社会的背景は捨象され、感情的ハビトゥスの意識的習慣というたった一つの変数が司る問題へと縮減されてしまうのである――まさに「たった一つの習慣」で人生が劇的に変わるのだ、と。(p22)

「自己啓発書の時代的変遷」

 牧野氏によれば、男性向けは60年代、女性向けは70年代において既に今日見られるような「フォーマット」が形成されていたという。90年代から00年代になると、ドラッカーやスポーツ選手などの「人生訓」も混ざり始め、いわばエッセイ本や自伝などのジャンルと「カップリング」し始める。また、最近ではAppleやスマートフォンなどのSNS、Web系の新書や実用書も「自己啓発化」されたメッセージを多分に含み、否応なく読者層を商戦略に乗らせようとする文脈も見受けられる。「女子力」や「整頓術」などの表現に見られる、あるステータスの価値を肥大化させ、キーワードを流布させる戦略も存在する。00年代以降は、啓発書そのものが漫画化されたり、図解や要約が増えたりして、いっそう文化的な「薄さ」(リクターマン)が加速化している。

⑵「象徴闘争の空間」(ブルデュー)としての「自己啓発界」


 エヴァ・イルーズは『近代的精神の救出』の中で、self-help books(自助本)をその一部に含む「セラピー言説」が扱う「感情」という対象を、ハビトゥスにおける最小単位として位置付ける。感情とは、「長期的に保持される精神と身体の性向」という文化資本の定義に合致しており、またその最も身体化された部分として考えられる。こうした「感情的ハビトゥス」は、Emotional Inteligence(EI/感情的知性)のことであり、日本ではEmotional Quotient(EQ)として流通している。イルーズはまた、望ましい感情のあり方が争われる空間について、ブルデューを緩用してemotional fields(感情界)と表現する。感情界とは、「さまざまな行為者が互いに、自己実現、健康、病理の定義について相争い、こうして感情的健康が社会・経済的領域における新たな商品として生み出され、流通し、循環していく」場として定義され、芸術界が「本当の」芸術を定めるように、感情界は「本当の」感情的健康を定めることに関与するとされる。
 アンソニー・エリオットは、自助本が以下の四つの特徴を持つ「新しい個人主義」(現代西欧に勃興している「新しい自己文化」)を押し進めているツールになっていると分析している。牧野氏はこうした特徴が自己啓発書においても見出される可能性があると指摘している。

Ⅰ「絶え間なく続く自己再創造の要請」
Ⅱ「即時の変化への終わりなき渇望」
Ⅲ「再創造と変化の加速化への誘惑」
Ⅳ「アイデンティティをめぐる短期主義とエピソード性への志向」

 宮島喬が提示した「獲得的文化資本」は、「遺贈され、客観的な所与条件をなす文化条件のみならず、あらゆる資源、機会を有効に利用しながら文化的有利さを自ら獲得しようとする行動性向」であり、「文化資本」の範疇に含められる。
 啓発書のメッセージはまちまちで、それぞれが「象徴闘争の空間」を形成している。「社会の魔術は、ほとんどどんなものでも利害あるものとして構成し、闘争の賭け金に仕立て上げてしまう」(ブルデュー)。また、「どんな界においても」、「正統性の独占を目指す闘争」が行われている。自己啓発にどれだけ関心を寄せているかの程度差については、「イルーシオ」(界で繰り広げられるゲームへの信仰)の働き加減として考えることができる。「自己啓発界」においては、アイデンティティ・ゲームが絶えず行われている。 


⑶目的意識と購読理由

 牧野氏の統計調査によれば、男性購読者では全体的に正規雇用の大卒者が多いが、更に特徴的なのは「体育会系」の人々の購読が目立つ点である。彼らには「自己肯定感・自分らしさの低減傾向」が認められる。本書によれば、「今の自分が好き」、「自分には自分らしさというものがあると思う」への肯定回答率が全体的にそれぞれ減少している。経年的な変化としては、社会状況として「自己」の戦略的使い分けが求められ、本来的な自己意識の揺らぎが強まっていると見られる。こうした現代社会に対する「自己意識のメンテナンスツール」として、ないし「自己についての文化」のヒントとして購読されていると考えられる。
 しかし、ウェンディ・サイモンズは『女性と自助文化』の中で、「自助本を読むことは、ある問題についての苦悩を取り除き、よりストレスが弱められた未来を指し示す一時的手段だといえるが、やがてすっかり忘れられてしまうようなもの」であり、それはquick-fix(応急処置)に過ぎないのだと結論している。また、ポール・リクターマンは論文「薄い文化としての自助本読み」で、「読むということは、熱心な自助本購読者にとってさえ、緩やかに取り入れられる、部分的な自己定義の資源として機能しているに過ぎない」、つまりthin culture(薄い文化)だと述べている。
 本書の統計データによれば、自己啓発書においては内容を真に受けて読む人は少なく、むしろ「距離」を持ちつつ参考程度で読む場合が大半である。換言すれば、「自意識を志向付ける日常的な参照点」の一種、「自己確認的な読まれ方」が多数である。

⑷自己啓発書から可視化する現代社会の「閉塞感」

 自己啓発界は、常により高みへ目指そうとする資本主義的な進歩主義の一側面であり、そこにはシュンペーターが定義した以下の資本主義社会の二大原理が「個人」の意識の次元において見出される。つまり、絶え間ない自己の「イノベーション」と、心理的な成長を伴う「創造的破壊」である。自己啓発界が絶え間ないアイデンティティ・ゲームの場と化し、意識改革を絶対化していく論理の背景には、実は「社会は変えられないから、せめて自己意識だけでもチェンジさせよう」という悲観論が流れていると、牧野氏は指摘している。換言すれば、「自己」へ向かう比重が高い反面、社会科学的分析には恐ろしく盲目な本が多い。
 


 






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