† 小説草稿 †

無人の遊園地


 あの禍々しい事件から三ヶ月後、守は父の諭しでもう少し校風の緩い新しい高校に通い始めていた。そこは男女比も均等で、守と同じように問題を起こして他校から転入してきた生徒もけして珍しくはなかった。守の在籍している二年D組のクラスメイトたちは気さくな者が多く、最初は棘を張って近寄り難い雰囲気を作ってしまっていた彼もいつの間にか微笑みを浮かべながら会話に参加するようになった。学校に行くのが苦ではなくなっていたし、父もほっと一安心していたのだった。
 だが、守には一つだけ誰にも話せないことがあった。そう、前の学校の聖堂で真夜中に悪魔を目撃してしまった記憶である。あの時のことを考えただけで、今でも身震いが止まらなくなる。幾度となく鳥の化物に誰もいない街路を追いかけ回される悪夢に魘されたし、それで軽い不眠症になったこともあった。ただ、母のロザリオを握っている時だけ、神の守護によって悪魔の力から護られている気がした。
「もうすぐハロウィンだね」
 学校の帰り道、最近一緒に帰るようになった同じクラスの麗奈が微笑みながらそう言った。何気ない街路はいつになく静かで、電線には数知れない鴉たちが何かを密談し合うように寄り添っていた。黄昏の陽が、坂道沿いのマンションの背から淡く射し込んでいる。
「ああ」
 守のどこか不安げな面持ちを見て、麗奈が心配そうに覗き込んだ。
「ねぇ守君? なんか悩み事あるんじゃない?」
「いや、特に何もないさ」
「ほんと? でも、時々授業中とかすごい深刻な顔してるよ。私で良かったら聞くけど? 彼女なんだし」
 彼女、というその言葉に守は軽快に笑った。
「まだ付き合うって決めたわけじゃないぜ」
「でも、三日前に校舎の裏でキスもしたし、もう他のみんなも付き合ってるって思ってるよ」
 麗奈は自信満々な笑顔を浮かべながら、振り向き際にスカートをたなびかせた。
「それはお前が強引に迫ってきたからだろう? 俺は硬派の一匹狼なんだ」
 守が強がると、麗奈が再び顔をまじまじと覗き込んだ。
「そのわりには、キスされた時すっごい嬉しそうだったよね。ほんとは寂しがりやのオオカミってわけだ」
 守が怒って追いかけると、麗奈は天真爛漫な笑顔を浮かべながら逃げ出した。二人とも夕陽を浴びながら坂道を走っていく。守はその時、不意に麗奈なら別に良いかもしれないと感じた。あの事件の記憶を話しても、きっと麗奈なら信じてくれるに違いないと、なぜか直感したのだった。守は誰もいない広い公園のベンチに麗奈を誘った。麗奈はわくわくした面持ちで、座りながら無邪気に白い両足を動かしている。守はおもむろに麗奈の横顔を見つめた。夕陽を浴びて輝く麗奈の顔に、どこか昔の母の優しい横顔が重なった。
「俺さ……前の学校で悪魔を見たんだ」
「えっ?」
「って言っても信じないよな。半分冗談だと思って聞いてくれ。俺が通ってた前の学校、カトリック系の男子校で敷地内に聖堂があったりしたんだ。退学した三日後の夜、忘れ物があるか確かめるために忍び込んだんだ」
 そう言って、守は右掌の中でロザリオをじゃらじゃらと振ってみせた。
「突然、凄い爆音が響いて、俺は聖堂の方へ向かった。そこで俺は四人の生徒が死んでるのを見た。一人だけ生き残ってて、そいつに訳を訊こうとした瞬間、奥から何かが現れたんだ。その何かはそいつを殺した……。一瞬だった……。俺は恐怖でパニックになりかけたけど、とにかく走って逃げ切ったんだ……。もう、かなり昔の出来事に感じられるよ」
「ちょっと待って! その事件ってもしかして……三ヶ月前にニュースで話題になってたあの男子学生五人惨殺事件のこと?」
 守は重々しい溜息を吐きながら、ゆっくり頷いた。その時、樹々の上を覆っていた夕暮れの最後の陽が、途絶えた。辺りは夜に染まり始めた。
「じゃあ、守君はあの事件の生き残りなの? ねえ、そうなの?」
 麗奈は不安に顔を強張らせながらそう詰め寄った。
「生き残りじゃない。俺はたまたまあの時、学校に忍び込んだんだ。聖堂に集まってたメンバーが何をしようとしてたのか、俺は知らない」
「そういえば、ニュースのコメンテーターの学者が言ってたけど、何か儀式をしようとしてたらしいわ。神を呼び出そうとしたって……。そのためには、殺し合わなければならないって……」
「イカれてる危ない連中だった。リーダー格の奴が、放課後に教室で何人か集めて本を朗読してるのを見かけたことがあったんだ。低い声で、淡々とラテン語を唱えてた。その時、そいつと眼が合った……。死んだような眼をしていた……」
「どんな悪魔だったの? このことは警察に言った?」
「言えるわけないだろ。鳥の顔の怪物が最後の一人を捻り潰したって、真顔で言われて信じる奴なんていない」
「でも、本当に見たんでしょ? その男子が怪物に殺される光景も」
「ああ……。間違いない。あれは……おそらくあいつらが召喚したものだ。悪魔なのか、新種の動物なのか、他の何かなのかさえよくわからない。とにかく、俺はもうこの件には一切関わりたくないんだ。俺の勘が言ってる……。関わると死ぬってな」
 二人の間に、沈黙が流れた。麗奈は深呼吸していた。
「私……信じるよ。守君の言うことだもん」
 震える声でそう口にした麗奈が、そっと守の右手を握った。
「信頼してる奴にしか話さないって決めてた。この話をしたのは、麗奈が初めてだよ。いや、最初で最後にする」
「ずっと……そんな恐ろしい記憶を一人っきりで抱えてきたんだね……」
 麗奈が眼に涙を浮かべながらそう言った。守が麗奈の左手を強く握り返した。
「今、麗奈に話して少し楽になった気がする……」
「私、守君の力になりたいの。一人で悩まないでね。どんな時でも、私がいるから」
 麗奈は頬に涙を伝わせながらそう言って、守の肩に顔を乗せた。守は麗奈の肩をそっと抱き寄せた。
「ああ、わかってる……。俺たち、恋人だもんな」

 日曜日のハロウィン、守は麗奈が一緒に行きたがっていた遊園地にいた。パーク内は家族連れや若いカップルで溢れていて、ハロウィンイベントのための飾りやイルミネーションで輝いている。守はパンプキンの仮面を、麗奈は魔女っぽい化粧をして歩いていた。遊園地はまるで、子供が夢みるありとあらゆるオモチャ箱をひっくり返したような煌びやかな輝きで溢れている。
「ねえ守、ジェットコースターに乗ろうよ! ここのやつ、全国でも有数の絶叫マシーンなんだって」
 すっかり小学生に戻って遊園地の雰囲気を満喫している麗奈がそう守の肩を叩きながら言った。
「よし、行ってみよう。でも、ジェットコースター乗り終わったらそろそろ飯にしようぜ。さすがに連続で色々乗り過ぎたら腹が減ってきたよ」
「OK」
 そんなふうに二人はジェットコースターのチケットを買って列に並んだ。風船を持った小さな少年が親と逸れたのか、泣きながら遠くのベンチに座っている。妙な胸騒ぎを覚えたので、一時的に列から抜け出して迷子受付係の所まで連れていってやろうと思った守だったが、あいにく搭乗係員が声をかけてきた。
「それでは座席に着いてシートベルトを通してください!」
「守、どうしたの? 早く乗らないと他の人に迷惑だよ」
 そう言われたので守はコースターの座席に乗り込んだが、意識は奇妙にもあの少年のいるベンチを追っていた。そういえば、母が湖で水死したのも俺があの子と同じくらいの頃だったな――そんなことをぼんやり感じた。無意識に、ポケットの中のロザリオまで手を伸ばし、木製の柔らかい感触を確認する。線路の勾配が急になり、コースターがいよいよ上り始めた瞬間になっても、守はベンチにいる少年がいるベンチを見下ろしていた。麗奈が興奮を抑え切れないといった面持ちで、守の右手を掴んできた。不意に、守は少年が先刻まで濁っていたあのレモン色の風船がすぐ近くを浮かんでいるのを見た。風船は気が抜けたように、ゆっくりと上空へ上昇している。見下ろすと、ベンチにはあの巨大な鳥の悪魔が座りながらこちらを凝視して微笑んでいた。守は驚愕して一瞬悲鳴をあげた。
「どうしたのっ!」
「あそこにいる! あいつだ! この前言ったあの悪魔だ」
「こんな時に嘘でしょ! どこにいるの?」
「さっきまで男の子が座ってた券売機の前のベンチだよ! 間違いない……あれは夜、聖堂にいた悪魔だ……」
 守がそこまで言った瞬間、コースターは遂に滑走路を全速力で急降下し始めた。心臓が素手で握り潰されたように萎縮するのが判った。恐怖を乗せたまま、コースターは圧倒的な速度で空中を舞う龍のように縦横無尽に疾走した。上下左右、急降下と急上昇、幾度とない回転を繰り返す。守は意識が飛びそうになった。あの少年は……。悪魔はあの少年に化身してこの遊園地まで追いかけてきたのだろうか……。守の意識とは無関係に、コースターは暴力的な走行を続ける。そして、気がつくとコースターは停止し、隣で麗奈が心配そうにこちらを見つめていた。
「ねえ大丈夫? 守ってば!」
「ああ……」
 半ば朦朧とした意識を引き摺ったまま、守はコースターから降りた。階段を下りてベンチの前に来てみると、そこには別の家族連れが談笑しながら座っているだけだった。辺りを見回しても、悪魔はおろか先刻の少年の姿形さえ見当たらない。
「やっぱり気のせいだったんじゃない?」
「そうかもしれない……」
「きっとお腹が空いてたからだよ。さっ、そろそろレストランに入ろ?」
 ヨーロッパの古い船室をモデルにした小さなレストランに入ってからも、守は得体の知れない不安に苛まれていた。天井で大きな換気扇がゆっくり回っているのを眺めていると、意識が眠りへと誘われていくようだった。店内で流れているボサノヴァの軽快な音楽も、眼の前でスパゲッティを食べている麗奈の姿も、凹面鏡から覗いた歪んだ世界の一部のように感じられた。次第に瞼も重くなってくる。守はやがて睡魔に襲われた。
 目醒めた時、そこに麗奈の姿はなかった。それどころか、レストラン内に人間の姿は見当たらなかった。あたかも遊園地が秘密裡に守の知らないあいだに園内が無人化したように見せかけるイベントショーを開始して、そのターゲットに選ばれたような気がした。守は半信半疑の気持ちのまま、慌ててレストランを出た。観覧車、メリーゴーランド、お化け屋敷などのアトラクション周辺をくまなく探し回ったが、やはり人間の息遣いさえ感じられなかった。


 
レストランでいつの間にか眠る➡誰もいない➡小悪魔たちが徘徊➡麗奈を探す➡お化け屋敷の奥に鳥の悪魔が幽閉している➡連れ出して遊園地脱出➡元の世界に戻っている
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