† 小説草稿 †

サロン



 レオタール公爵夫人は《魔笛》公演第二幕終了後の小休憩の間、劇場のテラスで社交界で懇意にしているバチルド伯爵夫人とソフィア伯爵夫人との三人で話をしていた。公爵夫人には最近、大きな悩みがあり、公演中もオペラの中身をそっちのけで、頭は一人娘のシャーロット――現在のブノワ夫人――にばかり向かっていた。なぜ、あんな階級の低い男を花婿として選択したのか、これまで手塩にかけて一流の教育や品性まで身に付けさせてきたはずのシャーロットは、今年二十四歳になった夏にブノワという青年と駆け落ちしてしまったのである。それも、ブノワはパリの貧民階層出身で、アカデミーでもろくに教育を受けていないうだつのあがらない三流画家で、財産も爵位も(当然、名前にもdeは不在だ)ない代わりに、飛ぶ抜けた美貌だけに恵まれているという曰くつきのフィアンセだったからだ。公爵夫人の苛立ちといったらなかった。娘は男を外見だけで選ぶはずがなかったが、明らかに自惚れと幼稚な恋のロマンティシズムに耽溺した結果のように思われた。レオタール公爵はこれに激怒して、配下を使ってブノワをこらしめてやろうと一時期血眼になったが、今では公爵夫人マリーが眺めたおかげで暗殺は免れ、娘の勘当という最終解決に至ったのだった。このルイ14世時代から多大な名声に与ってきた伝統ある一族の誇りを傷付けた責任を、まだ若いシャーロットは全く理解していなかった。まだ兄弟が他にいれば、彼女の駆け落ちも寛容な眼差しで許容されたのかもしれなかったが、残念なことにシャーロットには誰一人兄弟姉妹がいなかったのである。
「ねえ、マリー。そのブノワさんっていう男はどういう方でいらっしゃるの?」
 バチルド伯爵夫人がそう言った。三人の貴婦人は夜の宏大な幾何学式庭園を見渡せる美しいテラスで、テーブル越しに赤ワインを飲んでいるところだった。レオタール伯爵夫人が憂鬱な溜息を吐いた。すると、ソフィア伯爵夫人が扇子を仰ぎながら、くすりと微笑んだ。
「貧しくて美しい青年とのヴァカンスも、余興としてなら楽しいものよ。でも、実際に結婚となると話は別だけれど」
 ソフィア伯爵夫人は娘時代に王室主催のサロンに入り浸り、そこで数え切れない新興ブルジョワ階級の美男子たちと快楽に耽ってきた経験があったので、シャーロットの話には一定の共感も働いていた。ただ、彼女であれば別荘がヨーロッパに三つ以上ないような階級の人間とは、たとえ市民出であっても握手さえしなかっただろうが。

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