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07/15のツイートまとめ

afterfinitude01

これ、定式の意味を理解したらいろいろ芸術(恋愛?)に応用できると思うよ。clinamenについて知りたい人はGDHの『ニンファ・モデルナ』を推薦しておこうかな。
07-15 21:42

ヘルムート・バーガーを例にすれば、S——C——Hが成立する。すなわち、彼は美男子(S)から醜男(H)へと失墜したのであるから、ここでもヴィスコンティ的なクリナーメンが成立する。一般的にこれは「滑稽」と呼ばれる。
07-15 21:36

『ヴェニスに死す』の場合、例外的にN=Tとなる。すなわちアシェンバッハは美の感得の極致において肉体的に滅するのであるから、タジオは彼を美すなわち死へ導くCの放物線それ自身である。
07-15 21:28

N——C——T『山猫』の舞踏会はNの極大化であり、『熊座』のジャンニの自殺はTの極大化である。『夏の嵐』でも、公爵夫人の恋愛はNからTへとクリナーメンを描く。
07-15 21:24

ヴィスコンティの美学は以下のように定式化される。(C=clinamenとせよ)N——C——Tすなわち、S(美)とはN(優美)からT(悲愴)へのクリナーメンである。※Cをアリストテレスの『詩学』の文脈でメタバシスで表現しても良い。
07-15 21:20

息抜きに、ヴィスコンティの映画に共通して見られる美的原理を以下のように定式化しておくか。材料はまずデッソワーの美的範疇論。Schön(美)Niedlich(優美)Komisch(滑稽)Häβlich(醜)Tragisch… https://t.co/Tth0rdaxLN
07-15 21:14

例えば90年代デリダが西欧の不安を表現する時のスタイルは、やはり私の好みだな。地図上でヨーロッパはまるで小さな突起、いわばcapであり、ぶら下がった突起(ファルス)としてファロゴセントリズムに結び付くのだから、これを思考することは常にcapitalな問題である、という言葉遊び。
07-15 14:50

今日は彼のコレクションを狩猟しているけれど、やっぱり素晴らしいな。「来るべき民主主義」とほぼ同質的な内容の民主主義論をデリダより更に前から展開していたわけか。それも「行使」(民主主義と実践の不可分性)の価値にもしっかり言及するとい… https://t.co/DXjpuNW0dh
07-15 12:05

シュミットについては森政稔が述べるように現代でも積極的な読み直しの必要性が主張されている(デリダ、ムフ、デュットマン)。私の企図は彼の政治概念やランシエールの民主主義論を応用した上で、最終的に政治と倫理の可能性を再検討するというもの。
07-15 06:14

前掲書の文脈でいえば、民主主義の嗅覚というのは「概念」から「体験」が乖離したものであってはならないし、概念のみを先鋭化させてしまうことで結果的にいかなる政治的実践とも結び付かない閉域化を招く可能性があるということ。この点で、デリダの弱点を克服する意図を確かに感じる。
07-15 05:44



一般書の中だと、國分功一郎『来るべき民主主義』はもっと評価されて良い本だと思う。この本の何が優れているのかといえば、単なる理論の展開だけでなく個別具体的事例(小平のケース)に対処可能な民主主義の「実践」まで提示しているから。倫理における「実践性」の追求はモルのテーマでもあった。
07-15 05:40

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