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08/13のツイートまとめ

afterfinitude01

RT @0anamnesis1: 笙野頼子『説教師カニバットと百人の危ない美女』と『幽界森娘異聞』 https://t.co/4gfBeWSvei
08-13 23:12

ヴィスコンティの「審美的サディズム」に唯一、匹敵し得る方法論があるとすれば、それはグロテスク・リアリズム以外には考えられない。これは同時に悲劇/喜劇の問題でもある。
08-13 23:08

笙野頼子の一部の作品にも、メタフィクションとグロテスク・リアリズムの混合が見出される。
08-13 23:02

グロテスク・リアリズムは、よほど才能がある作家でなければ高確率で失敗する形式であり、また書きながら狂気を核にした喜劇性に身を委ねる必要があるため、書き手自身の気がふれる危険性を持つ。だがそれゆえに非常に魅力的で稀有な方法論である。「滑稽」と「哄笑」は悲劇の定式を覆す力を持つ。
08-13 23:00

私が以前から関心を持っている美の形式の一つに、グロテスク・リアリズムがある。文学の系譜ではラブレー、セバスチャン・ブラント、ローレンス・スターン、バルザック『滑稽艶笑譚』、大江健三郎『ピンチランナー調書』、画題では「バッカナリア」、「シレノスの災難」、「道化」など——。
08-13 22:52

人は何かに感動したり幸福を感じたから芸術を生み出すのではない。むしろある対象ないし出来事に触れて衝迫されたこと、傷付いたことが「美」の形式的な発現において極めて重要な触媒として作用する。恐怖、震撼、絶望、憤怒、総毛立つような忌まわしさ、吐き気——これらはすべて美の契機である。
08-13 22:44

ヴィスコンティの「審美的サディズム」の概念は、あまり知られていないだけに彼の作品理解において極めて重要。それは互いの傷を抉り合うことで初めて開示される存在の裸性のようなものであり、血を流す暴力よりも残酷なものである。重要なのは、至高の優美さ、絢爛さの最中でこの傷を裂開させること。
08-13 22:38

RT @Situations01: 「私の映画には、もっと道徳的な残酷さや、道徳的なあるいは審美的なサディズムがある。たとえば『ベリッシマ』、『ボッカチオ‘70』のように。こうした残酷さに対する興味はわたしの中で生き生きしている」ルキノ・ヴィスコンティ「サディズム」
08-13 22:24

RT @Situations01: 「私は、極限状況、つまり人間が真の本性を現すような異常な緊張を孕んだ瞬間に常に関心を持っている。物語の人物やテーマには厳しく攻撃的に立ち向かうのが好きだ。『郵便配達夫は二度ベルを鳴らす』には、私のどの作品よりも残酷さと暴力が出ていた」ルキノ…
08-13 22:24

論文においていかに文学的な形式を採用するか、などと安易に考えないこと。むしろ、いかに論文と小説において文体上、構成上の区別を徹底化させるかという点に、distinctionの比重を与えること。
08-13 14:35



論文、6000字ほど加筆。
08-13 14:30

読みながら気付いた方がいるかもしれないが、『薔薇と火』に登場する主人公の兄のモデルはMason Vergerだったりする。 https://t.co/1KZmOPk3DE
08-13 08:58

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