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10/04のツイートまとめ

afterfinitude01

より正確に言えば、自叙伝の試みが「本当はこうなるべきだった別様の自己」(私を絶え間なく苦しませる存在)を書き手に意識させ、この延長上で彼女からそれを仏教的な業の視座で捉えるように促された。私の生を越えた輪廻のサイクルの中で、初めて自分自身の苦しみが認識できた、ということである。
10-04 23:58

業の実在に気付く方法には幾つかあるが、私の場合は自叙伝的な小説を書く行為が契機の一つになった(二年前から続けていた)。すると、あらゆる苦の根源となっているような一つの出来事が炙り出される。そこに私のあらゆる傷の水脈があり、これは前世より前から続いていた、という直観を得た。
10-04 23:49

業は論理的な弁証法的過程では証明不可能であり、信仰の次元に位置している。「人には己が何者かを知る永遠のような一瞬が存在する」(ボルヘス)。この永遠とは悠久の流れの中での輪廻のスパイラルであり、その一点に己も属していることに気付く瞬間がすべての人に用意されているということ。
10-04 23:38

キリスト教と仏教では、業報輪廻的なものに対する現世での対応策に形式的な差異がある。両者とも徳を積み自我の滅却を志向するが、前者ではキリストと一致するところ、その復活と愛の真意そのものとなることが、後者での空の直観による涅槃への到達と一致する。
10-04 23:32

中有を空間的に捉えること。死後、人は四十九日間、ある小部屋で走馬燈のように自分の人生を振り返り、業を精算する。もしも、ある人が人生の中で常に同質の苦に回帰することに気付いた時、その出来事が前世の業報輪廻の果として今世で発現している、と考えられる。
10-04 23:19

南米には輪廻説を採用しているカルデシズムの流れがあり、ボルヘスはハーヴァードの講義で仏教について語っている。輪廻の原型は死者の復活、再生思想であるから、キリスト教の復活と必ずしも相容れないわけではない。むしろ井上洋治のような東西思想の調和、対話的思考が求められる。
10-04 23:12

『梶山雄一著作集』八巻収録の輪廻転生論は、ウパニシャッドから大乗仏教における空の概念までを整理していて非常に有益である。特に「中有」(四十九日)の概念。ボルヘス「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」の背景にあるのも業(カルマ)の考え方。
10-04 23:07

RT @0anamnesis1: バルテュスが好きなアジャーニ https://t.co/YgKWal70Zg
10-04 14:10

RT @0anamnesis1: チャスカ茶屋町のMARUZEN&ジュンク堂書店に初めて入った後にカトリック大阪梅田教会1階のサンパウロ大阪宣教センターに。キリスト教関連の書籍や聖品等が豊富だった。 https://t.co/Lh23UPLci2
10-04 14:10

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