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10/07のツイートまとめ

afterfinitude01

世親と龍樹は、仏教における輪廻転生を考える上で避けては通れない存在。ちなみに世親像は興福寺にある国宝。 https://t.co/mSdyFOXOlq
10-07 16:27

少なくとも梶山の素晴らしい整理から導き出せる論点として、世親の輪廻論は1不可弁別者同一の原則に基づくが、2同質の業を持つ人間は生まれる3業報輪廻からの解脱のためには煩悩の棄却が必要で、これを龍樹は4空の観点に至ると輪廻そのものは存在しない、と結論付ける。
10-07 16:12

もう一つ、ボルヘスの永劫回帰論(円環的時間)との相関で付記すれば、世親は霊魂の全面的反復はないと考える。ドゥルーズを緩用すれば、前世の何かが今世に「反復」する上で、業の形式は微分的に「差異」を持つ。メリーゴーランドでも、廻る木馬は同じだが同一の視覚はあり得ないのと同様。
10-07 16:05

龍樹の空を持ち出すまでもなく、輪廻に固有の主体が存在しないことは明らかではないか。業においては前世の種子が今世で果実となるから、因果関係を生み出す主体は原理的に2名以上となる。輪廻はこの数を無限後退させるわけだから、因果の連鎖に個別具体的な個人を策定することは不可能なはず。
10-07 15:56

ただ、梶山が強調するように龍樹と世親には共通点もあり、それは出発点が業からの解脱を志向している点。龍樹は最終的に善・悪や今世・来世といった概念上の区別を全て抹消して、空という世界一切の諸物観念を無化する究極的地点に依拠するため、輪廻に主体は存在しないという。
10-07 15:52

龍樹は輪廻そのものを全面的に否定する。輪廻の本質は空であり、業が来世に相続されるという見解自体が迷妄であるというから、輪廻のプロセスを詳述する世親とは確かに理論上の差異がある。
10-07 15:41

前掲書14章「業報論の超越」では世親の『倶舎論』から『稲幹経』を経て龍樹『因縁心論』にまで至る業報輪廻についての理論的変遷を精緻に分析している。
10-07 15:35

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