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10/13のツイートまとめ

afterfinitude01

ギャロウェイが指摘するように「ページは見つかりませんでした」(404)はウェブ自体の空白恐怖症であるから、裏を返せばネットの本質は底知れない空性でもある。これは分散型ネットワークが更に発展した50年後のウェブ環境でも依然として効果的な視座ではあるだろう。
10-13 17:07

以下は読みながら得たインスピレーションの素描だが、ネットとは本質的に「ドアは完全に開かれていなければならない」に集約される。だからこそ、404のような「閉まったドア」が前景化する。私が考えてみたいのは、「ドアが少しだけ開いている」という状況から賦活されるメディアアート。
10-13 17:01

瀬尾育生の表現を借りれば、『プロトコル』は「映像だけのラビ」が目覚める直前期に登場して然るべき哲学書として位置づけられる。その証拠に、ギャロウェイはプロトコルの属性として汎神性と異質発生性をあげる。新しいアニミズムはプロトコルと相関する形態で出現するだろう。
10-13 16:53

一方、ギャロウェイが90年代以降のメディアアートの変遷を論じたのは画期的な業績だ。特にデッドメディア(世代前のスマホから生産中止されたVHS含め)のアートへの汎用性や、httpステータスコードで有名な「404」とコンセプチュアルアートの関係性には目を見張るものがある。
10-13 16:48

ギャロウェイの本書が恐ろしく魅力的であることは私も認めよう。ただ、東の表現を緩用すれば西海岸特有の「アップデートされた空想的社会主義」に近いネットへの楽観主義が目立つのも事実。結論でのプロトコルの政治的危険性への言及こそ、民主主義が問われる現在において取り組むべき課題だろう。
10-13 16:42

概念的な外延が最小であるのはウェブであり、これを社会的、文化的、政治的に一般化ないし抽象化したものがギャロウェイの規定するプロトコル。それはウェブ内のステータスコードと相関する意味での狭義のプロトコル(TCP/IP)よりも、はるかに戦略的な概念である。
10-13 16:35

1、2、7、結論を読んだ限りで言えば、ギャロウェイの用いるaプロトコル、b分散型ネットワーク、cリゾーム、dウェブという四つの概念は全て微妙な差異を持つ、と解釈せねばならない。bcはほぼ同義的だが、aは必ずしもcと一致しない。つまり、プロトコルとはリゾームの一様態である。
10-13 16:32

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