† フェミニズム †

フェミニズム神学の基本文献

“母”の根源を求めて―女性と聖なるもの“母”の根源を求めて―女性と聖なるもの
(2001/03)
ジュリア クリステヴァカトリーヌ クレマン

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ジェンダーの視点で読む聖書ジェンダーの視点で読む聖書
(2002/05)
絹川 久子

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ヒルデガルト・フォン・ビンゲン―女性的なるものの神学

神学大全 第32冊 第3部 27-30 (32)

the feminine divineについて

コーネルなどの世界的なレヴェルで現代思想に影響を与えているフェミニストは、「大文字の父の法」を脱構築することを方法論の礎にしている。
これらの文献は、全てそのための課題図書といっていいだろう。
或いは、良き案内地図といっていい。

初めて知ったのだが、クリステヴァはカトリックだったらしい。
クリステヴァといえば、コーネルから女性の本質を「母性愛」に束縛しているとして批判されたことで有名だが、発言している内容はフェミニスト神学と連関している。
日本で、カトリックとして暮らしていくということは、当然信仰を持った女性と接することを意味している。
その上で、今の私が「女性のための」聖書の新しい読み方として、近年注目され始めたこれらの領域を学んでおくことには大きな意義がある。

基本的なことを書くと、聖書書記者というのはほとんど「男性」だった。
つまり、「女性」ではないのだ。
ということは、当時の社会のジェンダーが、女性性というものをパレルゴンへと追いやってしまっている可能性は極めて高い。(デリダ的な視座)
聖書は万人のための書であり、むしろ隠されて声を奪われた存在のための恵みである。
聖書における「女性」の描かれ方や、日本の新共同訳の訳文には、バトラーがいうファロゴセントリズム(男根ロゴス中心主義)的な側面があるのも事実で、これは脱構築されねばならない。

ある一人の哲学者の視点を持って私は聖書を読む。
それは彼から学び続けていることを意味している。
ようやく、私はデリダ的な視点、その父性構造の解体方法の幾つかの実践例に触れ始めたのだ。
出発点にいるわけだ。

少し紹介しておこう。
最後に記載した聖ヒルデガルトだが、実は彼女はキリスト教最初の女性神学者で、フェミニズム神学のいわば創始者である。(しかもなんと中世に属する)
彼女は時の教皇から直々に書物執筆を命ぜられるほどの神学者であったが、この女性の思想は極めて重要である。
基本的なことをいえば、ヒルデガルトは「神とは愛である」(ヨハネ)の、この「愛(カリタス)」を女性性の核心的概念として把捉して、いわばキリスト教=女性性という構図を描き出す。
キリストとは、男性というよりも、むしろマリア(神の母)、カリタス(聖愛)、エクレシア(教会)という三人の母性的存在(彼女は実際にカリタスを幻視して女性のビジョンを把捉している)を基礎にした存在であり、これこそがキリスト教の核心である。
この愕くべきフェミニズム的な神学を、なんと一人の女性が中世に構想していた、という時点で既に眼を見張るものがある。

現在、フェミニズムとキリスト教神学の新しい未来を構想することは、信徒にとって責務であるといえるだろう。
そうした中で、ヒルデガルトの思想はキーポイントを含んでいる。

the feminine divineとは、「神の女性的側面/女性の神的側面」を意味している。
デリダは「起源は無―起源である」と述べたが、ヒルデガルトは「母体(materia)」であると断言する。
この確信は我々を勇気付けるもので、迫真である。
このマテリアという概念は、実はmater(母)と、matrix(子宮)を含み持つ。
つまり、神の本質とは起源としての聖愛であり、女性的なるものなのである。

ちなみに、上記でもリストとして記載しているトマスの主著のこの巻は、「聖母について」の小冊子であるが、聖母マリア論とはいえない。
正統的な解釈が記されている。
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