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01/12のツイートまとめ

afterfinitude01

これは私が村上龍や中上健次にほとんど興味がない点とも関係するだろう。大江が仮に前科ありの肉体労働者だったりすると私の中で意外性の効果が極端に減少する。要は、作家は作品だけで評価されるわけではないということ。その人のハビトゥス、学歴資本、容姿などが決定的な評価軸になる。
01-12 18:55

大江の文体を模倣している素人を何人も読んだことがあるが、大江クラスの文化資本の持主があえて「滑稽なもの」を大真面目に書くからこそ読み甲斐があるわけで、あれは文化人特有に客観化された狂気だろう。アカデミズムの洗礼を受けていない作家が同じ効果を狙っても迫力に欠ける。
01-12 18:49

あくまで個人的な思い入れに過ぎないが、大江が死ねば私にとって日本文学は本当の意味で終わる。小谷野は近代文学を谷崎朝から大江朝への移行として位置付けていたが、私は大江朝「以後」にはほとんど興味がない。強いていえば松浦寿輝の余興を残り香のように味わう程度だ。
01-12 18:38

どれも想い出が詰まっているが、『洪水は我が魂におよび』文庫版上巻の巻頭ページに、大江を尊敬するあまり「大江健三郎、あなたを愛する」という言葉を百回以上書いた記憶がある。『われらの時代』、『同時代ゲーム』、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』なども最後まで熱に浮かされたように読んだ。
01-12 18:33

ほぼ全ての大江作品を十代後半で買い揃えたが、『政治少年死す』だけは印字された冊子体として保管している。どの作品にも「大江語」としかいえない卓越した譬喩表現が見られる。ストーリーよりもその文体の力学そのものに心底から魅了された。
01-12 18:26

私は中二の頃に塾の教材で大江健三郎の「飼育」に触れるまで、日本文学については芥川と宮沢、そして乱歩の「少年探偵団」シリーズくらいにしか興味がなかった。初めてじっくり読んだ時、この人には死体の顔を見て笑うことのできるような残酷さがあると感じた。これは今も変わっていない。
01-12 18:22

久々に生駒山。 https://t.co/wh5Rl3PwNR
01-12 15:57

遠くから電車の音が響いてきた。 https://t.co/S7fdzZqpi2
01-12 15:55

https://t.co/gPbhxfYHqd
01-12 15:54

額田展望台。東大阪市が一望できる。 https://t.co/pHbTjfGfvU
01-12 15:53



@liscochan ちょっと気になるので機会があれば読んでみようかな。
01-12 13:50

原稿でも言及しているアウグストゥスブルク城の室内装飾(ヨハン・コンラッド・シュラウン設計、1724年)。 https://t.co/U7rfZ0Hqgl
01-12 10:26

昨夜はアンドレアス・ショルのカウンターテノールを聴きながらディドロの美論について一節書き終えた。彼の「関係」概念に繋げながら、十八世紀の「オブジェクト指向絵画」という問題系であと一節書く予定。
01-12 10:23

私たちが初めて出会ったのは、ニューオータニ美術館で開催されていたこのささやかな展覧会だった。そしてこの頃、第二帝政期を舞台にした恋愛小説を書き始めた。 https://t.co/kFJV8DtJO7
01-12 10:03

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