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01/24のツイートまとめ

afterfinitude01

美神ウェヌスと美少年アドニスが交わって生まれたのが、巨根を誇る見るも醜い庭園神プリアポスだという伝承をメニングハウスが紹介していたが、これは美も過剰化すると「吐き気」に反転するという神話的な好例だろう。換言すれば、美的範疇としての「美」は「醜」と表裏一体的な関係にある。
01-24 23:45

『死と優美』でも論じたが、ボッカッチョが『カルパッチョ』で言及している「ニンファはおしっこをしない」という一文には、ヘシオドスがアポロンについて述べた名高い「彼の歩く姿は、まるで夜のようであった」と同質の恐ろしさを感じてしまう。「排尿の欠如」ほど非人間性を暗示させるものはない。
01-24 23:34

散逸したソフォクレスの喜劇作品も気になるところだが、ヘラクレイトスが書いたとされる芸術論『ムーサ』(おそらく悲劇論)についてはアガンベンも『ニンファ』で言及していて好奇心を誘う。
01-24 23:29

㉗歳で悲劇詩人としてデビューしたソフォクレスは67歳頃に『オイディプス王』を書き、それから更に二十年も旺盛な創作活動を展開したが、現存している作品はほんのわずかしかない。その中でもアリストテレスが最高の悲劇と激賞した本作が残されていることに私は心から感謝したい。
01-24 23:26

アングル《オイディプスとスフィンクス》(1808-25)におけるオイディプスの右手は確かに自分を指している。吉田敦彦の見解によればこれは「人間」ではなく「私自身(オイディプス)」を意味する。四本足は知らずに母と「獣のように」交わること、つまり彼の悲劇的な運命を予兆する。 https://t.co/lx9haNFb4O
01-24 23:19

ちなみに参考文献一覧とか出典図一覧のような画面上の機械作業中には本文執筆と較べて負荷がかかるため、内圧を下げるためにSaosin、Suiside Silence、邦楽ではDir en greyを聴いていた。どれもある方との個人的な想い出のつまった作品で、主に二十代前半の私の感性に影響を与えたもの。
01-24 20:50

『死と優美』と『政治的無力』によってこの半年間で計画していた批評関連の課題は全て、読者にもいつでも読める形式で外部化することができた。これまでのほぼ全ては東京時代に刊行したものだったが、この二冊をもって新たに大阪時代が始まる。
01-24 20:36

RT @dessinatrice001: 後期デリダの「来るべき民主主義」(une démocratie à venir)を「実践性(practicality)の欠如」から批判的に読む渾身のデリダ論。ランシエール、シュミット、丸山眞男、ラトゥールを横断しつつ展開する民主主義の新…
01-24 19:10

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