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02/05のツイートまとめ

afterfinitude01

スピノザの素晴らしいところは、「永遠」というものを、精神だけでなく身体でも「経験する」と断言し得た点。「経験するだろう」とか「経験できる」ではなく、万人が一度は必ず「経験する」。しかも永遠を「実在するものとして」経験する、とまで言い切っている。これにはやはり圧倒される。
02-05 22:19

スピノザが公共社会の利益を優先したのも、その土台の上に個人的欲求が成立するからであり、個人の幸福の最大化が公共の集団的利益の追求と比例するから。だからこそスピノザの政治論は「身振りの政治」(実践としての政治参加)というラディカルな民主主義へ接続する。
02-05 22:11

私がスピノザに惹かれる理由の一つは、「自らの能動性の度合を増大させること」を実践的な生の哲学として展開したところにあって、これは『スピノザと表現の問題』を読む過程でも感じた。どんな人にも活動的になれるものが一つはあるはずで、スピノザはその能動性を拡張することにこそ善性を見出す。
02-05 22:06

特にスリリングなのはナンシーによる註釈だろう。「...あらゆる事物は現実化されているにしろそうでないにしろ実在する」(72)とあるように、ナンシーのスピノザ論は空想的なもの(非実在)も広義の「実在」に含有している。つまり「神の無限知性」に包含される。
02-05 21:56

特に重要なのは実在論へのアプローチ。スピノザにとって「神の身振り」とは実在の「産出的超過」であり、世界には意味も目的も理由もなく実在が過剰に溢れかえっているとカリオラート&ナンシーは解釈している。「神の身振り(Dei nutus)は実在そのものである」(112)。
02-05 21:51

アルフォンソ・カリオラート、ジャン=リュック・ナンシーによるスピノザ論『神の身振り』読了。カリオラートはナンシーの弟子で伊語圏でのデリダ、ナンシーの翻訳者。ドゥルーズのスピノザ論とは違い、「我々は神の身振りによって活動し、神の本性を分有する」というただ一文を中核にして脱構築する。
02-05 21:45

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