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02/19のツイートまとめ

afterfinitude01

ただ、民主主義では往々にして多数派の意見が制度化され丸山眞男の言う「である」論理にすり変わっていくため、常に少数派の「する」論理による観察、牽制、実践が必要になるはず。この限りではニーチェ的個人を共同性から排除するのは危険だろう。デリダ的な歓待論がここで試される。
02-19 22:51

浅野によればニーチェとスピノザは善悪の観念において近似するが、前者は政治的な集団的身体から隔絶された「個人」において力能を位置付けたために政治哲学としては不完全だった。スピノザ哲学の中核は政治論であり、初めから「多数者」の力能が前提になっている。そこから国家論にも接続する。
02-19 22:43

浅野俊哉『スピノザ 共同性のポリティクス』の倫理論(2章)読了。善とは我々の活動力(potentia agendi)を増大させるものを意味したが、本論では本質的に「何が」そうさせるのかに切り込んでいる。共同性の平面においてこそ幸福は最大化されるため、スピノザにおいては厳密に「個人」は存在しない。
02-19 22:34

そして三点目はメイヤスーだけでなくデリダとの接点でもあるが、二項対立的な系列の一方を極限化させるともう一方に一致する事実を論理的に導き出す方法論。著者はこれを「排中律の未成立」あるいは「ウロボロスの蛇」と表現するが、思考の様式として非常に美しいと感じる。
02-19 22:10

メイヤスーと入不ニ基義に深い接点を見る理由は少なくとも三つ存在するが、その一つは相関項としての私たちそのものの「未出現」において「極限的な実在」を設定する点。二つ目は実在論の極限において浮上する「遂行的にネガティヴな想定不可能性」(p223)がカント的な自然の斉一性を破壊する点。
02-19 22:03

著者の規定する「枠組み相対主義」はガブリエルのいう「領野」に近い。これがパトナムのいう内在的実在論(ソフトな実在論に近似)であり、更に相対主義の濃度を高めると形而上学的実在論(ハードな実在論に近似)に至り、これがネーゲル的な意味での「実在」に相当する。本書はそこから更に一歩進む。
02-19 21:54

入不ニ基義『相対主義の極北』から実在論と相対主義の「交点」に迫る1、5、9章読了。01年刊行とは到底思えないほど今日的な射程圏を持っている。思弁的実在論における「実在」とはそもそも何だったのかを探る上で重要なだけでなく、実在論の極点と相対主義の極点がいかに交わるかを徹底的に考察する。
02-19 21:47

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