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03/13のツイートまとめ

afterfinitude01

ディディ=ユベルマンはボッティチェリにおいて、テヴォーはシャルダンにおいてそれぞれラカンの対象a(フロイトでは「代替物形成」)を応用しており、これらの読みは表象概念に依拠する批評では重要性を持っていたが、OOO以後こうした流れとは別の思考が試されている気がする。
03-13 23:26

「ある事物が他の事物のなかに映し出される」(p197)以上、対象の宇宙的抱握の概念は明らかにラカン的な隠喩、あるいは対象aの図式と接点を持っているだろう。表象とその不在の絵画的問題系にも通じる点ではミシェル・テヴォーの『不実なる鏡』収録のシャルダン論に派生する。
03-13 23:14

ハーマンにおける対象は互いに退隠した孤絶的なものだが、ホワイトヘッドにはこうした切断や分離の観念は見当たらない。むしろ対象は「リズム」において持続し合い関係的な本質を持っている。だからこそあらゆる関係概念を標的とするハーマンはラトゥールを含めホワイトヘッドの上方解体を批判する。
03-13 23:06

ヴァールの解釈を踏まえると、ホワイトヘッドは神を実在性に包摂する。つまり潜在性/現実性といった前近代には神の属性だった概念を対象(object)の次元に降下させる。これによってホワイトヘッドは神を喪失するのではなく、逆にあらゆる実在の世界に神的なものを読み取れる視座を獲得する。
03-13 22:54

ジャン・ヴァール「ホワイトヘッドの思弁哲学」(『具体的なものへ』第二部)読了。本論の骨格部分は「ものはその中に全宇宙を閉じ込めている」(p239)に集約されている。ハーマンやシャヴィロもホワイトヘッドから決定的な影響を受けていただけに、本論での実在、抱握の分析には得るものが多かった。
03-13 22:49

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