FC2ブログ

† Twitter †

08/29のツイートまとめ

afterfinitude01

何度も聖書は通読しているけれど、この部分がいまとても響いてくる。イエスもしっかりイザヤ書を読んだ上で、自分の言葉で新たに伝え直しているのがわかる。
08-29 22:46

「彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き、湧き水のほとりに彼らを伴って行かれる」(イザヤ 49.10)
08-29 22:44

「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者はけして渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(ヨハネ 4.13-14)
08-29 22:40

白浜って俯瞰図はこんな感じなんだ。形としてはやっぱり天橋立の方が好きだけど、太平洋側でも泳ぎたいな。 https://t.co/9WzCYMAZ3P
08-29 15:13

この辺りのことはジェイムズの『宗教的経験の諸相』との関連でやはり捉えるべきかもしれない。私の神秘体験は幸福なものだった。それは海中にいるのでなんとなく不安であること以外のいかなるネガティブな感覚様態とも無縁だった。
08-29 12:39

初めて教会を訪れ、シスターに出会った時のことを考える。あの時、私は実は海を感じていた。ただ、それはシスターという女性を媒介にしていたので、海のように中性的ではなかった。バラードは海に子宮のアナロジーを用いるが、これも海の持つあのマテリアルな触感を覆い隠してしまうだろう。
08-29 12:34

アルベルトゥス・マグヌスによればmariaの本質はmareに象徴されるのだが、泳いでいて海に特に女性性は感じなかった。むしろ両性具有的。海は私を包摂していたが、だからといって母の胸に抱かれるような安心感があったわけでもない。むしろ海は不安と危険の形象で満ちていた。
08-29 12:28

それが汎神論とはいかなる関係もないことは肌身で実感した。海の神は存在しない。この点でアニミズムはやはり超越を空間的に有限化してしまうと思う。私が確信を込めて言えるのは、神的なものが「海の中の500匹以上の魚の群れ」を通して発現していたということ。それは山でも花畑でも起こり得る。
08-29 12:24

先日の天橋立の海中での神秘体験については三年前から執筆している長編小説『波打ち際へ』で既にいろいろと考えているのだが、まだまったく汲み尽くしえない。海は私にあの魚の大群を媒介にして何かを伝えようとしていた。それはいったい何だったのか......。
08-29 12:18

関連記事
スポンサーサイト



*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next