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09/19のツイートまとめ

afterfinitude01

今ここにあることの持続は時間論において否定できない。潜在性は絶対的に一つの穴(現在)を通ってしか実在化し得ない。ただ、事実論性や超弦理論のカラビヤウ空間では、現在を多孔性モデルで捉えることが可能である。複数の穴を通って潜在的なものが並行的に外在化されるということ。
09-19 22:15

現在とは、この「現在ある」という事実が他の諸可能性を除外して潜在性の海から屹立するということでは「ない」とすれば、おそらく時間は錯乱を来す。アウグスティヌスの矢は逆行する。ドゥルーズ的な永劫回帰モデルと対立する形式で、過去のある一点と「完全に同一」な出来事さえもが起きる。
09-19 22:04

現在を孤島ではなく「群島」モデルで捉えると間違いなくライプニッツ的な可能的世界論に漂着してしまうので、これとは別様に改めて「並行的現働化」について考えてみる必要があるかもしれない。
09-19 21:55

もしそうだとすると、一匹の猫の周辺には無限数の同一の対象による可能的動作がひしめき合っていることになり、こうした可能性も含めて全てが潜在性に格納される。「現在」は本当に一点だけ潜在性の海面から隆起した島なのだろうか。
09-19 21:49

直観的な付記。潜在的なものが現働化するのは本当に現在という唯一点だけなのだろうか。今があるということに全て収斂し、様相はここで潰れてしまうのだろうか。現在という一点とは別に無数の可能的な「並行的現働化」があり、そのつど宇宙は無限に分裂しているのではないか。
09-19 21:40

@sasami_hayashi 逆説的なことですが、あなたは今後も読書を勤勉に続けるべきです。ただし、そのリズムにこれからは配慮されるべきでしょう。ほんの少し外に出て動物や植物に間近で触れ、彼らから驚異を受け取ってみてください。それまではしばらく書を閉じておくのも良いでしょう。
09-19 14:53

私がこの夏に海で出会ったものと同じものが、今目の前にある。すなわち──今ここにあることが、内在/外在の境界を緩やかに浸透させる穏やかな充足感。宇宙のどこに行ってもおそらく、この素朴で濃密な感覚の拡がりが起きる。私は今、キリストの復活の意味をはっきりと認識する。 https://t.co/fXApAKcwnZ
09-19 14:44

おそらく究極的な次元では「キリスト」や「涅槃」、「神」さえ意味を持たなくなる。今ここにあることが即悟りであり、永遠の愛であり、自然との一体化であるということ。人はどこででも、いついかなる時でもこの充溢の次元を開ける。そこでは私と虎を、虎と樹木を、樹木と太陽を分けるものはない。 https://t.co/DhRQMrGCxH
09-19 14:33

死の床にある人は何も所有せずに旅立つ──生まれた日と同じように。様々な哲学、思想、宗教の中からいったい何が本当に私自身の血肉となりうるかを十分に見極めなければならない。今興隆しているものはいずれ必ず廃れる。そのサイクルの中で何が受け継がれているのかを自分自身で認識すること。 https://t.co/BJsVT8IfnX
09-19 14:27

現代思想の消費市場というものがある。そこでは依然としてマルガブやSR系統、ドゥルーズなどがよく売れている。そうした新しい本に飛び付いて消費していくだけではどこまでも根源的な「不足感」に呪縛されたままだ。人はこぞって新しい思潮に参与し、一躍買おうと必死になっている。 https://t.co/hB00T8Fq7J
09-19 14:22



緑に包まれながら気付いたこと──「私のもの」(所有物)だと信じているものはどれも真の私ではない。例えば「カトリックである私」という私の自己性ですら所有物なのであり、人は出身や経歴、人種や宗教などによって本来の私に「外被」を覆わせ、「私のもの=私」という等式を生産し続けている。 https://t.co/X6b9gxjQAR
09-19 14:15

RT〉一番好きなカフカの写真。海を前にするとこんな無邪気な顔で笑えるんだね。ブロートとの仲の良さも伝わる。
09-19 07:10

RT @historylvrsclub: Max Brod and Franz Kafka on the beach https://t.co/tK3str9vtx
09-19 07:07

私はこのことを、今後日本で増加していくであろうアジア系の、読書する機会すらあまり持てずにいる女性たちにもはっきりと認識できるレベルで語っていく必要があると感じている。イエスがなぜ喩え話を多用したのかもここに繋がってくる。誰にでもわかりやすく、身近なエピソードを用いて。
09-19 00:17

重要なのは、思考も意識も言語も全て人間が作り出した産物であり、再客観化された相関主義の再来に過ぎないということを最初の出発点にすることである。私見では、このことは既に哲学にさほど関心を持たない人でも気付き始めている。問題はその語り方、伝え方。
09-19 00:11

主客や一多のような二項関係をどのように新しいモデルで扱うか、という命題に図式的なフレームを用意するだけでは単なるメタ概念を形成するだけであり、あくまでも思考の相関に留まり続けることになる。メイヤスーが終止符を打ったのは、まさしくこうしたセール的な還元主義に他ならない。
09-19 00:03

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