FC2ブログ

† Twitter †

09/21のツイートまとめ

afterfinitude01

仏教の解脱、キリスト教のテオーシスあるいは復活とは、本質的に今・ここに・あるということこそが実は究極的な真理であり幸福そのものであることを教えている。苦しみは過去に囚われた者にしか生まれない。純粋ないまは、たとえ曇天でも嵐の最中でも常に生き生きと輝き、実在たちの創発で溢れている。
09-21 23:07

ほとんどの人はおそらく、純粋な今性、此処性にはまったく苦が付帯していないということに気付いていない。現在が苦しいのは、「私のエゴ」が現在を苦として感じているからである。だがエゴは真の自己性ではないのだ。真のあなたは常に純粋な今・ここにのみ存在する──これを絶えず意識すること。
09-21 23:01

屈することは、起きたことにただ忍耐することではない。苦しんでいる自分が「ここに・いま・いる」という事実を直観し、それを宇宙の彼方から一点として俯瞰することである。この視座が成立した時点であらゆる苦しみは終わる──すなわち、苦は過去化する。残るのは現在の幸福である。
09-21 22:56

人生で何か辛いこと、苦しいこと、悲しいことが起きた時、無理にそれを抑圧したり必死で切り離したり克服しようとする必要などない。何より重要なのは起きていることに「屈する」こと──苦しんでいる当の自分を遥か高みから冷静に見つめているもう一人の真の自己の存在に気付くことである。
09-21 22:50

真に見る目、聞く耳を持つ人は、単なる知識の習得者ではなく、常に魂を平穏さにおいて維持できる術を身につけた者にこそ師や同胞を見出す。ほとんどの人は他者への不満や批判に終始し、その人も自分も共通して宿しているはずの真の自己性を見ていない。
09-21 22:42

非常に高い知性レベルにある学識者ですら、時に非常に低い意識レベルの口論を始めて周囲を驚かすことがあるように、その人の持つ知識や概念、理論は「いま・ここに・ある」ことの悟りとは直接的な関係を持たない。むしろ思考や流派(宗派)の違いが些細な対立を巻き起こす要因となっている。
09-21 22:37

この無関心は、冷淡さとはまったく異なる。他者の悩みに寄り添いながらも、その人が本来の平静な自己性を失っているということに気付くことだ。往々にして人は最近か、あるいは過去のエゴに束縛されている。ここから脱出するためには、「いま・ここに・ある」ことを意識する必要がある。
09-21 22:33

社会生活の中で人は必ず「他者のエゴ」に出会う。エゴはその人の怒りや哀しみの発出であり、彼らはそれを他の人に理解され共感されたいと望む。だがこうしたエゴに流されたり動じたりしてはならない。他者のエゴに対する意志的な「無関心」こそ平穏さの核心である。
09-21 22:27

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next