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09/24のツイートまとめ

afterfinitude01

梅田で見かけた印象的な通行人④通行人じゃないけど淀川に近い一角でわりとオシャレな小さい自転車屋を営んでいる老人。扉は開けっ放しで店内ではハンモックみたいなのに寝転がってサングラスをかけながら雑誌を読んでいた。「人生なんてラフでいい」という物言わぬ人生論を雰囲気から感じた。
09-24 22:18

梅田で見かけた印象的な通行人③たぶんこの二日ですれちがった中で最強のイケメン。スーツも靴も鞄もルックスもヘアスタイルもほぼ完璧だった。同じく取引先?と電話しながら歩いていた。あの日焼け具合からおそらくアメリカ西海岸かどこかのビーチを訪れている。
09-24 22:13

梅田で見かけた印象的な通行人②丸善1階で忙しそうに電話していたやり手編集者みたいなインテリ眼鏡の女性。一瞬だけ目があった時、この人はどういう本とか普段読んでるんだろうとぼんやり感じた。
09-24 22:08

梅田で見かけた印象的な通行人①ブリーチにピンクのメッシュ入れてるんだけどちょっとヤマンバみたいなヘアスタイルになっている女子。東梅田の地下街をものすごい脱力した面持ちで亡霊的に歩いていた。もうすぐ映画公開される『来る!』に出てくる霊能者に雰囲気が似ている?
09-24 22:05

あとこれは本当に美味しかった。この二日間の大半を梅田で過ごしていた気がする。今後読むべき本とか面白そうな新しい出版社とか色々発見も多かった。 https://t.co/AbKDTyUAE0
09-24 21:57

梅田って不思議だなぁと感じたのは、芸劇から歩いて線路を越えるともうすぐそこに淀川が広がっているところ。信じられないくらいの数の秋の虫たちが大合唱していた。しかもこちら側の河川敷は大日方面と較べて草むらがほとんど整備されていない。調布寄りの多摩川に近い感覚。 https://t.co/hXB7F5Riyk
09-24 21:46

RT @0anamnesis1: 夜の蝶 https://t.co/w8AmNBVEfa
09-24 20:41

「時間」に捧げられたモニュメント。 https://t.co/BmjsH6ONO0
09-24 20:23

大阪の夜と月。 https://t.co/JjDvpKn4YM
09-24 20:22

梅田には渋谷っぽいところがある気がする。堂島アバンザや芸劇みたいな文化的な施設もあれば、個性的な若者の溜まり場みたいな街路もある。Bunkamuraがけっこう好きだったので、梅田にもなんとなく通じる一角があってわりと楽しい。 https://t.co/ahq542QfnZ
09-24 20:21



休日は梅田周辺を散策。 https://t.co/dqKaHVIhIT
09-24 20:13

ブッダは輪廻を海に、ニルヴァーナを島に喩える。廻転する多の流れの中に自分の居場所=ニルヴァーナを作るということ。だとすれば、その島の波打ち際の「砂」たちは海が織り成したもの──海の本質を見極めることによって初めて島が見えてくるということだろう。
09-24 09:01

内在するキリストにおいて語りかけない神父は真のキリスト者ではない。あらゆる司牧者は「たとえ百年のあいだ毎月千回ずつ祭祀を営む人がいても、その功徳は真理をよく説いた人の十六分の一にも及ばない」という『ウダーナヴァルガ』24章におけるブッダの卓越した言葉に耳を傾けなければならない。
09-24 08:16

現代のカトリック教会の最大の弱点とは、超越を形式的儀礼に変換したことによってナザレのイエスが持つあらゆるポテンシャルをひとつの文化習俗にまで失墜させたことにこそある。イエスは礼拝のためではなく、本当に救いを求める今ここにある苦しみの声に応えるためにこそ世に現れたのだから。
09-24 08:06

今とは無限に豊かな潜在性が非物体的な出来事として現働化することであり、これはすなわち無意味の生起であり、宇宙の空性の発現であり、ニルヴァーナである。出来事という表面が持つ絶対的空性を直観した者には真の安らぎが「今ここ」に現れる。この空の平穏さにおいて真の自己は神と一致する。
09-24 07:23

今ここにあることを無様相の現実への単一的な還元主義として捉えるべきではない。もしそれだけを言いたいならば、単に「即物的にこの世の今を思う存分に楽しめ」という迂回されたニヒリズムを絶対化するだけでいいだろう。
09-24 07:16

夢に現れる空虚な実在は「いま・ここに・ある」。夢の感覚的次元でのみ輪郭化し得るすべての対象は夢見る主体における生きた経験である。だからこそボルヘスは夢を現実の延長とみなしたのであり、夢の対象に現実の平面と交換可能な存在論的地位を与えたわけだ。
09-24 07:00

「夢と現実の相互包摂」のような、いかにも最近ボルヘスを読み始めた人が安易に着想しそうな前近代的なフレームではなく、夢を過去・未来を縮約した「現在」として捉えること。夢の時間における錯綜を上演しているのは睡眠中の「現在の私」であり、その持続であるに過ぎない。
09-24 06:52

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