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11/10のツイートまとめ

afterfinitude01

砂漠の師父たちが「神は焼き尽くす火である」(ヘブライ12:29)というメタファーを好んだ痕跡は、教母シュンクレティケの「あなたは鉄であり、火によって錆を落とします」にも見られる。筆記することさえ過酷な環境下を潜り抜けて、後世に残された掛け替えのない言葉に胸を打たれる。
11-10 20:32

「川のそばで、土台のために使われた焼いていない煉瓦は、一日ともたない。しかし、焼いた煉瓦は石のようにもつ。このように、肉的な感覚を持ち、ヨセフのように神への畏れの火によって浄められていない人間は、権力の座に就いても滅びてしまう」オルシシオス(『砂漠の師父たちの言葉』)
11-10 20:21

カトリックの神学に、私は洗礼を受けて十二年経過した現在でもなお魅了され続けている。カトリック、それは私にとって人生最大の美の極致であり、神秘であり、救済であり、永遠の母鳥の羽毛である。二千年の時を経て守り続けられてきた生きた伝統がここにはある。
11-10 20:01

例えば《ブランデンブルク協奏曲》には、端的に我々が天国で実際に体験することになる天使的な調べに限りなく急迫した部分が現実的に含有されている。それは神的なものが、ルター派プロテスタントの想念を媒介にして、実際に万人が聴覚的に経験可能な音楽として「顕現」した証左である。
11-10 19:54

私の心の内には神がおり、他の人々には感じられなくとも私の魂は神の存在を証する──こうした内在志向的な信仰の限界は、まさにキリストの「復活」を実在として捉えることで克服される。厳密に言えば、復活は信仰の有無に関わらず、すべての人に体験され得る生きた現実的な出来事であった。
11-10 19:45

カトリックに改宗したユイスマンスが描く聖リドヴィナがあれほどの身体的苦痛を経て、死後にその遺体が十七歳当時の「雪の肌」をした姿に戻っていたというエピソードは、単に人々の心の中で信じられたものではない。リドヴィナの「肉体的復活」は実際に起きた出来事として体験されたものだ。
11-10 19:34

神は内在(超越論的主観)において存在するのか、それとも有限性とは独立した生きた実在として現実的に存在するのか、といった問題について、私は騎士会入会後ずっと考え続けてきた。実際には、神は内在において働きかけることもあれば、奇跡的な出来事として外在的に働きかけることもある。
11-10 19:25

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