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11/17のツイートまとめ

afterfinitude01

むしろ内在的な滅却とは「頓挫」ないし「中断」されることそれ自体の審級ではなかったのか。滅却の停止、超越との切断において各人が担う十字架が初めて可視化される。だからこそ神は実在的なものとして一度は歴史に介入する必要があったのではないか。
11-17 13:44

穿ったことをあえて言えば、エックハルトやポレートが本当にこの世俗において「自己滅却」に達することが可能だと考えていたのかを一度は問い直しても良いはず。修道院、砂漠、在俗といった場に関わりなく人は必ず外在する事物、他者からの干渉を受け、関係性に巻き込まれることで生きているからだ。
11-17 13:36

一方で、キリスト教と仏教で共通する部分を探し出し、「根は一つ」として同一性に還元してしまう安直さを回避するためにも、キリスト教において真に固有のものとは何かを自覚しておく必要性を感じる。内在とは独立して神的な出来事(受肉/復活)が実在的に生起したという観点がやはり前景化する。
11-17 13:30

洗礼者聖ヨハネによる、彼(キリスト)は栄え、私は衰えなければならないという名高い言説も、ポレート的な「自己滅却」に結び付けて捉えることは可能だろう。この場合、衰えるものとはポレートの文脈に直せば自己の「理性」であり、理性的に神を獲得したとみなす自負心に他ならない。
11-17 13:22

11章で展開される「愛の至高の自己滅却」の教えに代表されるように、ポレートは確かにエックハルトと通底するところが多い。つまり内在から超越を志向しつつこれと合一するベクトルであり、最終的にはテオーシスへ達する。これは『臨済録』にも見られる内在原理で、仏教との互換性は極めて高い。
11-17 13:15

12月に村上寛氏の『鏡・意志・魂──ポレートと呼ばれるマルグリットとその思想』が刊行されることもあり、改めて当時異端の根拠とされつつも、現在は神秘神学の重要な古典である『空しくされ、ひたすら愛の意欲と欲望のうちにとどまる単純な魂の鏡』を読み直していた。https://t.co/fWzqUNIB3c
11-17 13:04

RT @Iwanami_Shinsho: サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞した山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』も帯が変わります。 https://t.co/zRsGRHC4Zi
11-17 07:54

RT @201yos1: 宇野重規先生が書いてくださった、『トマス・アクィナス 理性と神秘』のサントリー学芸賞の選評は、拙著の選評としてのみではなく、トマス・アクィナスが現代において持ちうる意義を浮き彫りにした文章として、私自身にとっても非常に啓発的でした。お読み頂けますと幸い…
11-17 07:54

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