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11/18のツイートまとめ

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ベンスーサンを読みながら否応なく想起してしまうのはレヴィナスの「顔」の概念、とりわけ「顔は涙を流す孤児として到来する」というあの決定的に「カトリック的な」(デリダ)一文なのだが、だとするとメシアは過去に私が出会った特定の他者として再来するのだろうか。
11-18 12:39

ベンスーサンがシェリングやヘーゲルの時間論を再検討しながら展開する「メシア的現在」は、決定的に新しい何かがある日突然、自然の斉一性を破壊するといった意味での「事実論性」(メイヤスー)あるいは「最深潜在性」には属さない。メシアはむしろ「浅い潜在性」から、過去の総合から訪れる。
11-18 12:34

神秘的な実在がもし厳密な科学的検証に耐え得るものであるならば、そこには最早「神秘」はない。神秘的なものは、いわば「メシア的なもの」として未来へと繰り越されなければならない。メシアは既に到来したとみなすキリスト教の場合、来たるべきものとは「来臨のキリスト」をおいて他にないだろう。
11-18 12:28

ディーが経験したとされるのは、天使ないし死者との対話であり、これはキリスト教神学に輪廻転生の概念を接合したカルデックの『霊の書』の成立過程に類似している。ただ、双方の対話は外部に表出した科学的実在としては経験されていない。根拠は常に経験した主体の「記述」の次元に留まる。
11-18 12:20

印章には往々にして«AGLA»(Atha Gebir Leilam Adonai)「主よ、あなたは永遠に強大である」などといったラテン語が刻まれていたが、ディーのこうした体験を厳密に「外からの到来」として解釈すべきかどうかについては更なる検討の余地がある。
11-18 12:13

『啓示の哲学』における「超-存在」的なものを実際に実体化しようと企図した神秘主義者は西洋にも多く存在しているが、16世紀のイギリスで活動したジョン・ディーの場合、水晶、水、鏡、印章などを用いて現実的に「天使との接触」を可能にしたという記録がある。
11-18 12:09

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