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12/06のツイートまとめ

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ちなみに洗礼者ヨハネの教えを守り続けていると自負するのが現存するマンダ教(グノーシス主義)。更に付記すると、傷付いて包帯を巻きながら門の前にいる乞食のメシアというイメージは既に『法廷(サンへドリン)』に登場しており、福音書成立以前に「受難」の原型はある。
12-06 23:25

④「独立する者」の中でヨルダン川中心に活動していたのが洗礼者ヨハネ⑤30歳前後にヨハネから洗礼を受けたナザレのイエスが小規模な公的活動を開始⑥イエスの教義それ自体は復活、赦し、愛など含めて基本的にユダヤ教由来⑦イエスの死と復活を契機に贖罪概念が形成(ユダヤ教ナザレ派)
12-06 23:20

①ファリサイ派の中からラビ・ヒルレルを中心とする一派が独立②ヒルレルらがエッセネ派を形成(教祖とされる「義の教師」=ヒルレルか否かは不明)③200〜300年経過後、エッセネ派から「独立する者」と「残る者」に分裂(クムラン洞窟に残った者によるテクストがいわゆる死海文書)
12-06 23:15

決定的なことはまだ言えないが、洗礼者ヨハネとナザレのイエスに至るユダヤ教の系譜として、少なくとも欧米で基本文献とされてきたシューラー『ユダヤ民族史』第四巻から(私自身のパラフレーズも含めて)再構成すると、以下のような流れになる。
12-06 23:09

多くの人は、キリストは私たちと同じくらいの背丈だったと考えてはいないだろうか。史的には正しいが、天国のキリストは圧倒的なほど巨大である。それは『リヴァイアサン』口絵にどこか似ていて、時代も国家も異なる無数の人々が、山のようなキリストの周りに集まりつつあるという光景だった。
12-06 21:30

総括はまだ少し早いかもしれないが、2018年は私にとって驚異的だった。夏に天橋立で神秘体験をしなければ、十月に騎士会に入る決心をすることもなかっただろう。ただ、それらも私が十九の時にはっきり見た、神の右の座についたキリストの圧倒的な姿ほどに啓示的なものではない。
12-06 21:19

おそらく私がニューマン枢機卿の言葉に魂ごと抱き締められている状態にあったことが、今回の若枝の幻視と関係しているだろう。それはメイヤスーを経てベンスーサンの「メシア的現在」について考え続けてきたことの結論として、私にある確信を与えるほどの言葉だった。
12-06 21:09

カトリックの洗礼を受けられ、私と同じようにほぼ毎日何らかのかたちでキリストに想いを馳せている方であれば、幻視の類はけして珍しいことではない。実際、以前教会である御婦人からミサの最中に強烈な神体験をして拝領間近に卒倒した女性の話を聞いたこともある。神秘は私たちのすぐそばにある。
12-06 21:02

今日の午後七時半頃、今年に入って四度目の神秘体験をした。曇天の中帰路に差し掛かっていると、ポツリと頭にひとしずくの雨滴が落ちたので斜め上の空(JCTと歩道のあいだ)を眺めると、はっきりと「主の若枝」が見えた。幻視は騎士会に入って生まれたての天使を目にして以来、これで二度目になる。
12-06 20:55

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