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01/24のツイートまとめ

afterfinitude01

『対話』の中でブーバーは、自分が神との恍惚に満ちた神秘主義を捨てるきっかけとなった、ある特別な出来事について語っている。この作品自体、論述に個人的な内省的散文が混じっていて極めて味わい深いものだ。彼の著述には内在的な砂漠で流した血と汗と涙が感じられる。
01-24 22:51

日本語でも読めるようになった比較的新しい現代のユダヤ系哲学の本としては、ベンスーサン『メシア的時間』は特筆に値する。ここで展開される「メシア的現在」の概念も実はタルムードに由来している。いわばユダヤ系哲学を通して、旧約聖書は新たに神の息を吹き込まれ続けている。
01-24 22:45

ブーバーはカトリックの私にとっても重要な存在で、彼はレヴィナスがユダヤ教の遺産から「顔」、「il y a」、「可傷性」を、デリダが「メシア的なもの」、「責任と秘密」などの概念を錬成してきたように、古いものに光を当てて現代に蘇らせる。彼らの思索の営為はキリスト教への架け橋にもなってきた。
01-24 22:40

ブーバーというと『我と汝』は最も認知度が高いが、この「我」と「汝」の概念もその祖型は一人称としての「ヤハウェ」と、呼びかけられる二人称としての「イスラエル」にこそある(『預言者の信仰』)。そして「我」(神)とイスラエルの民の媒介項となるのが神の通訳である「ナービー」(預言者)。
01-24 22:30

@kyodo_official 生まれてきたすべての命に神の豊かな祝福がありますように。イエスは今から二千年前の夜、貧しく不衛生な馬小屋で御生まれになりました。この新生児の方が十分な保護を受けて安全に育つよう、神に祈りを捧げます。
01-24 21:01

ブーバーの『モーセ』によれば、モーセは山火事に近い何らの理由で偶発的に火がつき、炎の中でも形態をなかなか崩さない植物を見ただけであったが、その自然現象に「使者」(神とは表記されない)からの内的なメッセージを受け取った。この対象への解釈(誤認)のダイナミズムこそが決定的に重要。
01-24 12:39

システィーナ礼拝堂の《モーセの試練》(ボッティチェリ工房、1481年)について、『フレスコ画の身体学』収録論稿「モーセ伝とキリスト伝」では、モーセは燃える柴の茂みで神と「対面」したと述べているが、該当箇所(出エジ3:1~4)ではモーセが目にしたのは実は「燃えているが無傷な柴」のみである。 https://t.co/U1lnH1uebP
01-24 12:32

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