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03/23のツイートまとめ

afterfinitude01

ちなみに、丹生谷貴志の造成居住区にせよ、ビュイダンのサハラにせよ、それらを「最期の風景」の復元の試みとして再解釈するのは可能だし、私の感性的傾向は後者に惹かれるけれども、しかしドゥルーズ哲学は私の中ではけして砂漠(あるいは内在的荒野)に創建されたものではない。
03-23 22:05

誰かと連れ添って共に死ぬことが「情死の美学」の太宰的な形式だとすれば、ドゥルーズは「何と」連れ添ったのだろう(あるいはヨハネは?)。ある観念、ある最期の内在平面が彼の中で瞬間的に発火したはず。そこにまで急迫できるドゥルージアンがいるのなら、ぜひ読んでみたい。
03-23 21:59

ヨハネの栄光とその最期は、『ヴィスコンティの美学』との繋がりで言えば、メタバシスの一様態として捉えられるかもしれない。ドゥルーズとニーチェにもそれはある。
03-23 21:54

女性に対してはプレイボーイで、アガサンスキーとのあいだに私生児までもうけたデリダには、選択するのが重く暗い論題でも文体は妙に軽快で、読者とのあいだに何か親密な関係を築こうとするかのようなパフォーマティブを感じないわけではない。ただ、ドゥルーズには妙に異常に暗いところがある。
03-23 21:42

ドゥルーズがヒュームの自殺論に言及している章は、やはり全体的にどことなく暗い雰囲気が漂っている。これを書いたことで彼が窓から墜落しやすくなったのはおそらく事実だろう。一番重要なのは、むしろ地面に頭を叩きつける直前に彼が何に生成変化していたのか、という問題。
03-23 21:38

ヨハネ論を準備しているあいだにも、ドゥルーズについて色々と新たに書きたいことが増えてきたな。一つは梶山の輪廻転生論との関係で見たドゥルーズの永劫回帰論。そして、やはりドゥルーズにおける自死の問題。
03-23 21:34

ドゥルーズ論を加筆。存在論的発生、あるいは襞と潜在性の関係について新たに考えたことを踏まえつつ。
03-23 21:24

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