FC2ブログ

鈴村智久の研究室

表象文化論、美学の研究者鈴村智久です。哲学・思想ブログランキング総合2位。

05/20のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

afterfinitude01

だからこそ、今まさにヘーゲル再読が「思弁的転回後のデリダ」という観点でも重視されているわけだが、私はこういう過去の遺産の真にラディカルな部分に真摯に向き合う論客にこそシンパシーを感じる。真に新しいものは古いものの中にこそあるのだから。
05-20 22:32

私は批判的なデリダ読みを貫いているのであえて書いておくが、デリダの脱構築それ自体、ヘーゲルそのものだったはず。弁証法の持つ目的論的な側面を脱色し、ヘーゲルの思弁的運動(そもそも止揚に到達点などない)を多種多様な隠喩(コーラ、自己免疫性、痕跡、憑在論)のシステムに翻案し続ける行為。
05-20 22:29

なぜラトゥール主義が反ヘーゲルに陥りやすいかといえば、それはヘーゲルこそがラトゥールがセール経由で応用する準客体はおろかデリダの差延の先駆的位置を占めるから。二項の相互包摂や第三項による統合はそもそも弁証法の歴史に属する。この問題系の遺産を組まない立場は基本的に信用に値しない。
05-20 22:20

私はラトゥールを無批判に受容する者たちが往々にして陥る盲目的なドイツ観念論の忘却に対しては、かなり問題だと感じている。おそらく『論理学』のヘーゲルをいかに思弁的転回以後の文脈で再活性化させれるか、ここにヘーゲルの未来はかかっている気がする。
05-20 22:09

おそらくマラブーやブルジョワを読んできた人間なら自明の理だと思うのだが、ヘーゲルは二項対立を一方の項において包摂する形で弁証法を目的論的に展開しているのではまったくない。むしろ弁証法はマラブー的な意味で思弁的運動としての「可塑性」であり、弁証法それ自体が止揚されなけれならない。
05-20 22:03

関連記事
スポンサーサイト



Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://borges.blog118.fc2.com/tb.php/3294-fb981e8d