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鈴村智久の研究室

表象文化論、美学の研究者鈴村智久です。哲学・思想ブログランキング総合2位。

10/03のツイートまとめ

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この問題については、2020年を迎える頃には本として発売したいと思っている今回の原稿(仮題『思弁的神学』あるいは『思弁的転回後の神学の可能性』)で、かなり掘り下げて考察しています(現在進行形)。
10-03 23:08

ヘーゲルが使う意味での「思弁的思惟」のラディカルな側面は、思弁的転回後の現代思想の文脈において、やはり無視できないと考えています。それはメイヤスーの記号論に登場する三つの概念がヘーゲル的に構成されている点や、偶然性が絶対者の概念と結合する点からしても明らかだと思われます。
10-03 23:02

わたしはこうした問題系に取り組み始めてから、神を超越としてのみ措定しなくなりました。また、エックハルト的に内在に傾斜して捉えることからも距離を置くようになりました。神は超越でも内在でもない、つまり、神は超越でありかつ内在であるからです。ここにヘーゲル的な思弁の核心があります。
10-03 22:47

諸概念をこのように四項性で捉える方法は、こと宗教について考える上では極めて重要だと思います。例えば超越/内在、偶然/必然、潜勢態/現働態などのペアを考えるときも、一方の項に傾斜することなく対象へのアプローチを平準化して用意できるからです。
10-03 22:42

山内や中沢のレンマ的図式では、ロゴス的思惟には第三、第四レンマは存在しないことになっていますが、これは単純にヘーゲルの『論理学』を踏まえていないからだと思われます。厳密には西洋にもレンマ的思惟は存在しています。例えば「無限判断」として、デリダの「コーラ」として。
10-03 22:35

ヘーゲルによれば、肯定性は否定性へと無媒介的に反転するため、この二重肯定は「その行為はAでもなく、非Aでもない」という二重否定へと反転します。これがグレマスのいう「中立項」であり、「第三レンマ」であり、ディオニュシオスに始まる否定神学の思惟方法です。
10-03 22:29

次に、「その行為はAであり、かつ非Aである」と二重肯定する場合、これはグレマスのいう「矛盾項」になります。山内得立のいう「第四レンマ」がこれに当たります。
10-03 22:25

例えば、ある人がAさんの行為を「善」として、別の人は「悪」として判断したとします。ここには同一対象をめぐって判断に対立がみられます。このとき、「その行為はAである」と「その行為は非Aである」は同時には成り立たず、矛盾しているとみなすのが排中律です。
10-03 22:22

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