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鈴村智久の研究室

表象文化論、美学の研究者鈴村智久です。哲学・思想ブログランキング総合2位。

02/29のツイートまとめ

Posted by 鈴村智久 on   0 comments   0 trackback

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この観照者は、動物でも植物でもAIでも良いのであり、ヘーゲルが実際に対象にしていたのは、つねにこの非人間的な拡張的精神(ポスト精神)でした。ヘーゲル自身、「差異」論文ですでに観念論と実在論の綜合を企図しているので、メイヤスーはやや徴候的な読みをしていることになります。
02-29 21:32

ブルジョワはこれを、思惟主体が論理的生命(概念)に主体性を譲渡する、という文脈で解釈しています。要するに、ブルジョワにとってヘーゲル的思弁とは、論理空間の概念の運動を観照する者となることで、主体が非人間化することを意味します。
02-29 21:21

この点はメイヤスーの指導教官だったブルジョワのヘーゲル論が参照軸になります。ヘーゲルにおける思弁(Spekulation)とは、「鏡(speculum)のようにあるものが傍観者(spectateur)として自己構成を観る(specto)」ことを意味します。「傍観者」が人間であるという条件設定は最初からありません。
02-29 21:15

非常によく見かける誤解ですが、素朴な思弁的実在論者(メイヤスー主義)の観点に立つと、ヘーゲルは物自体へのアクセスに「精神」を相関させる点で、「相関主義」あるいは「思弁的観念論」の代表格として批判されます。しかし、実際にはヘーゲルは「精神」を「人間」と同義的には使っていません。
02-29 21:08

@Americanmasaki ありがとうございます。現代のカトリックの立場には倫理的にまだ様々な問題が山積していますが、根本にあるのは他者に橋をかけること、ヘーゲル的な意味での相互承認にあると考えております。
02-29 14:51

@Americanmasaki リフォローしていただきありがとうございます。最近、アナスの徳論に関心を寄せていたので、紹介して下さっている道徳論のリストは私にとっても非常に参考になります。
02-29 14:47

部分を全体性に還元するメレオロジーに対する批判として、ストラザーンが提起するメログラフィー的戦略が、実は人類学的なフィールドワークを正当化するための偽装的体系に成り下がっていることを踏まえても、あらためて学問としての体系構想の意義は再考されなければならないでしょう。
02-29 14:04

㉑世紀前半の現代思想の文脈では、ドイツ古典哲学的な体系モデルの重要性についてはあまり言及されていませんが、私は後半以降に再び新しい体系構想が次々と出現してくると予感しています。この予感は、実は今日の不穏な国際情勢を踏まえると、一定の必然性を持つものでもあります。
02-29 13:56

一人の人間が自分の哲学体系を構築するという時に、三十代という年齢はもしかすると分水嶺になるかもしれません。『精神現象学』、『人間的自由の本質』は、共に三十代の作品でした。メイヤスーでさえ、「体系」ではありませんが自分の理論的立場は三十九歳の時点で明確化しています。
02-29 13:50

完成した時点で、書き溜めているドゥルーズ論を本筋であるヘーゲル論に包摂するかどうかは、まだ慎重に考えています。
02-29 13:47

後期デリダのユダヤ的な側面に対しても好感を寄せてしまう点で、やはり私は根本的にユダヤ・キリスト教をベースにした哲学に自分の方向性を感じます。一方、ドゥルーズには宗教哲学的な側面がデリダほど前景化しないため、根本的に私の方向性とはまた違ってくると考えています。
02-29 13:42

おそらくこの相性の良さは、ドイツ古典哲学がカントも含めて、キリスト教の道徳的秩序に対してまだ敬意を払うことができた、という点に尽きるかと思います。私自身はカトリックですが、ヘーゲル哲学は宗派に関わらずキリスト教徒全般とは非常に親和性が高いと思います。
02-29 13:37

執筆中にヘーゲルの重要性に気付いて以来、原稿全体をヘーゲル論として再構成し、その上でメイヤスーやデリダ、ド・マン、ラトゥールと突き合わせながら、ヘーゲル哲学を再構成するという作業を継続しています。今まで読んできた哲学者の中で一番相性が良かったのは、ヘーゲルとデリダでした。
02-29 13:33

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