† 文学 †

出発点としてのサミュエル・ベケット

伴侶 (りぶるどるしおる 2)

「闇のなかにおまえといっしょにいる他人について作り話をするおまえについての作り話」

この作品は、ベケット文学の中で最も重要な作品である。
というのは、これは現代文学の実情を全て露呈しているからだ。

本書の最後のページは特に重大である。

空虚な言葉を重ねるたび、おまえは最後の言葉に近づいていく。いっしょに作り話も。おまえといっしょに闇のなかにいる他人についての作り話。闇のなかにおまえといっしょにいる他人について作り話をするおまえについての作り話。そういうわけで、要するに、徒労のほうがましで、おまえはあいかわらず。

ただ一人。



私は未だかつて、これほど適切に現代文学の有様を表出させたテクストを知らない。

ベケットには、極めて独特な「神学」ともいうべき思想がある。

自分の被造物と同じ創造された闇のなかを這う創造者は、這いながらも創造することができるだろうか。



神は愛。はい、それともいいえ?
いいえ。



現代文学で「神」を遮断する発想は西洋では既に常態化して久しい。
この作品は、むしろ書くことの虚しさを吐露しているのである。
書くこととは、「声」の伝達であるが、ベケットはそれは「闇のなかで仰向けになっている誰か」にしか届かないと断言している。
つまり、闇であるので誰かわからないし、むしろ誰にも自分の本質的な「声」は届かないのだ。
実は、これは本書の冒頭でいきなり告白されている。

書き手には「名前」も「性別」も「国籍」も「身体」も何もない。
まさにただのテクストが生み出している不特定多数の、雑踏的なノイズ=声だ。
その声が、「伴侶」を求めている。
世界中に存在する様々なものを「伴侶」として希求するが、それはあくまで想像的な次元にしか生み出されない。
したがって、「声」はいう。
「慎重に想像すること」。

書くことの無意味さ、虚無、何の価値も期待できない単なる時間の空費――このような書くことの苦悩を、ベケットは全て本書で概念として結晶化しているのだ。
ベケットは、何も見出さない、という点で天才的なのである。
多くの作家は、「無意味さ」「虚無」「何の価値もないテクスト」「これは最早小説ですらない」といった批判にぶつかると、それをマイナスだと思って、改めてしまう。
だが、ベケットはそうではなかった。
彼はそれを悪用したのだ。
すなわち、ベケットは「無意味さ」において、それを徹底的に先鋭化させたのである。
このノーベル文学賞に輝くアイルランド出身の天才的な作家は、極限までテーマを研ぎ澄ましているのである。

文学とは、「先鋭化」「徹底化」である。
ベケットは少なくともテーマを持っているのだ。
つまり、「声の無意味さ」を読者に伝達することである。
あらゆる偉大な作品は、何らかの概念の「先鋭化」「徹底化」に他ならない。
つまり、全ての作家は、たった一つのテーマと共に生き、そして死ぬのである。
ベケットが20世紀後半において、そのテーマを「無意味」に選んだことは、極めて重大な影響力を持って現在に及んでいる。




ワットワット
(2001/10)
サミュエル ベケット

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語り得ないものを語ろうとする主人公ワットの精神の破綻を、複雑な語りの構造を用いて示した現代文学の奇作。
第二次世界大戦末期、ゲシュタポの手から逃れ、南仏の田舎町に疎開した時に書いた長編小説。語り得ないものを語ろうとするワットの精神の破綻を複雑な語りの構造を用いて示した特異な作品。


ベケットの中で、かなり好きな作品の一つ。
とりわけ第三章の精神病院の中庭での出来事が天才的である。
このような素晴らしい文体を発明したベケットの才能に敬意を表したい。
ベケットといえば、私は常に「大笑いさせる文学」だという印象があり、この作品はその中でも金字塔である。
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