† 現象学  †

僕らは美しい

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          「 American Beauty 」


「市場の蝿」




逃れよ、わたしの友よ、君の孤独の中へ。
私は見る、君が世の有力者たちの引き起こす喧騒によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまれていることを。

孤独がなくなるところ、そこに市場が始まる。
市場が始まるところ、そこにまた大俳優たちの喧騒と毒ある蝿どものうなりが始まる。

我々がある人間においてある点を認識することは、その人間のそのある点に点火するということである。
だから、小さい人間どもに近付くときは気をつけよ。

逃れよ、わたしの友よ、君の孤独の中へ。
強壮な風の吹くところへ。





「創造者の道」




君は、君自身が立てた善と悪とを自分に課することができるか。
君の意志を掟として己の頭上に掲げることができるか。

孤独な人間を殺して死に至らしめる様々な感情がある。
君は果たして、それらの感情の殺害者となることができるか。

君はかれらを越えてゆく。
しかし君が高みへ登れば登るほど、妬みの目は君を小さい者と見る。


わたしの兄弟よ、わたしの涙を携えて、君の孤独の中へ行け。
わたしは愛する、おのれ自身を越えて創造しようとし、そのために滅びる者を。





「七つの封印」




教会や神の墓をもわたしは愛する。
崩れ落ちたその天井から天空が清らかな目をして覗き込んでくるようになれば。
わたしは草や赤いけしと同じように、教会の廃墟に座ることを好むのだ。


わたしはまだわたしの子を生ませたいと思う女を見出したことがない。
しかしただ一人、ここにわたしの愛する女がいる。
おお、お前にわたしの子を生ませたい、わたしはお前を愛しているから、おお、永遠よ。





「快癒しつつある者」



一切は行き、一切は帰る。
存在の車輪は永遠に回っている。
一切は死んでいく、一切は再び咲く。
存在の年は永遠に巡っている。


それぞれの<ここ>を中心として、<かなた>の球は回っている。
中心はいたるところにある。
永遠の歩む道は曲線である。





by   Friedrich Wilhelm Nietzsche







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「国家装置としての本に対抗する戦争機械としての本」





リゾームには、構造、樹木、根などにおいて見出されるような点ないし位置といったものはない。
線があるだけなのだ。



こどもは走り、遊び、踊り、絵を描くのであって、言語活動やエクリチュールに注意を向けることなどできない、つまりけして良き主体ではありえない。
要するに記号系は、原始的記号系が持っていた多様体のすべてを徹底的に破壊しなければならない。



芸術は人間を待たずに始まる。
それどころか、芸術はずっと新しい時代になって、しかも人工的な条件が整ってはじめて、人間の世界に生まれるものかどうか疑わしい。



いかなる創造も経験なしには存在しない。



人物は一人ひとり複数の特性を持ち、これらの特性が同じ平面の上で、あるいは他の平面の上で、他の人物たちを生起させる。
要するに、概念的人物は増殖するということだ。
ひとつの平面のうえに、無数の可能な概念が存在する。
それぞれの概念は、可動橋を通じて、共振し、繋がり合う。



ハイデッガーの諸概念は、ある唾棄すべき再領土化によって本質的に汚染されているのではないか。
彼は再領土化のもろもろの道の中で迷ったのである。
なぜなら、それらの道には標識も柵もないからである。
この厳格な教授は、おそらく、みかけよりもさらに発狂していたのであろう。


あらゆる生成変化は女性への生成変化に始まり、女性への生成変化を経由するということも、はっきりとさせておかねばならない。
女性への生成変化は、ほかの全ての生成変化を解く鍵なのである。


女性ですら、女性に<なる>必要がある。


問題は、戦争機械がいかに戦争を現実化するかということよりも、国家装置がいかに戦争機械を所有するかということである。




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神は無限に多くの仕方で変容する。
神は自らのあらゆる変容の原因である。



あらゆる様態的変容は属性を異にするそれ自身における<有>である。





by Gilles Deleuze
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