† キリスト教神学 †

今日のキリスト教徒は、常にニーチェ以上に錯乱を来たしていなければならない

最もまじめなキリスト教徒は、私にいつも好意を寄せていた。




2010MadonnaM   DG1


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七年間、私はバーゼルの高等学校の最上級でギリシア語を教えたが、その間罰を加えなければならないようなことは一度だってなかった。
ごくごくの怠け者も、私の授業の時は熱心であった。

最もまじめなキリスト教徒は、私にいつも好意を寄せていた。



今日、誰も私の言葉を聞かず、誰も私から受け取ることができないのは、無理のないことであるばかりでなく、当然なこととさえ私には思える。
何びとかが私の本の一冊を手に取ることは、その当人が自分自身に示しうる最高の敬意の一つだと、私は思っている。

一日の始まる早朝、清新な気が漲っているのに、自分の力も曙光と共に輝いているのに、本を読むこと――それを私は悪徳と呼ぶ。

新刊書に対する警戒心、否、敵意とさえいえるものが、寛容や雅量、その他の名を持つ隣人愛よりも、確かに私の本能に属している。
多くを、そして多種類を読むのは、私の流儀ではない。

私はフランス的教養をしか信じない。




戦いとなると、話は別である。
私は私の本性上戦闘的である。
攻撃することは私の本能の一つである。
敵となりうること、敵であること――これはおそらく強い天性を前提とする。



2010MadonnaMD  G2



私は私の運命を知っている。
いつか私の名に、ある巨大なことへの思い出が結び付けられるであろう。
かつて地上に例をみなかったほどの危機、最深処における良心の葛藤、それまで信じられ、求められ、神聖化されてきた一切のものを粉砕すべく呼び出された一つの決定への想い出が。
私は人間ではない。
私はダイナマイトだ。







by Friedrich Wilhelm Nietzsche
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