† 神秘主義 †

終末論と、メシアニズムの本質について

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by Steve Hanks



このページでは、宗教が往々にしてその教説に持つ、終末論とメシアニズムについて考える。

終末論と、メシアニズムの本質は同じものである。
というのは、終末論が「世界の終わりが来る」ということを信じることであるのに対し、メシアニズムは「来るべき方は来られる」ということをやはり信じることにあるからである。
これらは双方、ともに「間の理論」によって説明できる。

間とは、例えば「家」と「家」の「あいだ」の空間。
あるいは、「夜」と「昼」の「あいだ」の時間。
そういうどちらともいえない「路地裏」や「黄昏」に宿る独特な「魔-間」を包括する日本的な概念である。

「間」には「曖昧性」と、「境界線の抹消」という独自の性質がある。
つなぎ目など知らぬ間に、いつの間にか、昼は夕暮れになる。
人間は、このような間が持つ独特な「怪しさ」に惹かれるのである。

間は、無論宗教においても機能している。
それが、「いつ到来するとも定かではない終末予言」や、「必ずいつか再臨するメシア」に対する信仰である。
これらは、共に現在を「待っている状態」、「待機しているあいだ」として把捉する。
すなわち、「大いなる出来事」が起きる「より前」なのである。

人間というものは、「出来事」が心理的に重要性を帯びる場合、それを「待っている期間」に独特な楽しさを見出すという性質がある。
それは、「家」を「出来事」として還元した場合における、「路地裏」への偏愛である。
「終末論」は、「終末」が来るまでの「あいだ」における宗教的感情において、超越との一体化を深めるために存在している宗教システム固有のプログラムである。
これと鏡像関係にあるのが「メシアニズム」であり、こちらは「楽しいこと」、「悦ばしい奇蹟」が起きてしまうよりは、「できるだけ間延びさせたい」という人間の欲望機械とも連関している。
どちらにしても、この二つは「間の理論」を宗教システムが看取した結果、自ずと発生するプログラムであり、どちらも超越との一体化を、より効果的にするための策略である。
したがって、終末がいつ来るか、とか、キリストがいつ来臨するか、といった「予言」は本質を見ていない幼稚な誤謬に過ぎない。
重要なのは、虚構的に設定された「大いなる出来事」にまで至る「間」である。


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