† 展覧会 †

ウフィツィ美術館自画像コレクション展 Ⅱ

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by Luigi Russolo

前回の続きのページですが、画廊を歩いていて、私は画家自身が意図的に自分を美化している作品が二流のものであるように感じました。
一流のもの、観覧者が思わず立ち止まってずっと眺めていた絵は、むしろ画家自身の深い「精神性」を感じさせるものだったと感じます。
つまり、描かれた自己は既に他者化されてしまうわけですが、そうした仮面を通じて伝わる「内面性」が、画家の悲劇や厳しい運命などと重なる時、初めて私は美的な符号性を感じたわけです。

もちろん、傑作と呼ばれる自画像には、画家自身の「傲慢さ」や、「嫉妬」などを表出しているものもあり、それがあまりにも露骨に伝わることで斬新さを感じさせるものもあります。
レンブラントの自画像も一枚ありましたが、これは画家の悲運を滲み出していました。
要するに、画家のその当時の感情までもが、自画像を通して読み取られるわけです。

改めて思いますが、「自分を描く」ということはどういうことなのでしょうか。
狂気に瀕している人間の描いた自画像も展示されていましたが、これは自分自身をグロテスクに描いたものでした。
一方で、私が惹かれたのは、画家が自分に「自信」を持って、自分の「スタイル」を信じて、それを媒介にして描いたものです。
私ははっきりいって、このコレクションで「画家の自負」を感じたかったのでした。
それはつまり、「ナルシシズム」をいかに、巧く洗練させて「自負」へと繋げていくか、という作業です。
この作業が比較的巧く、自分を見事にスタイリッシュに描いた画家は、たいていが私の印象に残りました。
好意的に感じるのです。
他方で、自分を意図的に奇怪に描いたり、グロテスクに描く行為に対しては何故か魅力を感じませんでした。
ベーコンは自身の自画像で、頭部を激しくデフォルメしていますが、あれは私にとって「グロテスク」さと、「スタイリッシュさ」がつり合いを保っているので、それほど不快ではないのです。
もっと正確にいえば、ベーコンの自画像には「自信」が感じられるからです。


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by Rosa Bonheur

私は、画家の自画像の最大の魅力は、「自信」を画家自身に持たせる効果である、ということをここで書いておきます。
それは「こんな自分であり続けたい」という願いなのかもしれません。

魅力的な自画像に共通しているのは、正面からではなく、斜めからこちらを観ている体勢のものです。
ポーズは真正面からではなく、何故か「斜め」なのです。
デューラーには、真正面から描いた自画像があります。
私はファッション誌でならこういう正面からのポーズは許せるのですが、絵画になると何故かエゴイズムの肥大化を感じてしまいます。
「斜め」からこちらを見る、というポーズは、どこか控えめですが、同時に我々はその絵の瞳を見つめるのであって、瞳がじっとこちらを「自信」を持って見返していると、確かに力強い「生」の息吹を感じるわけです。

もしかすると、人間の顔が一番「綺麗に」、あるいは「凛として」見える最高のポーズとは、「見返り」なのかもしれません。
この女性画家の自画像も、「見返り」のポーズによって描かれていますが、もしも彼女がデューラーのように正面から堂々と描き過ぎていたなら、私は少し抵抗感、ノイズのようなものを感じてしまうでしょう。
ある種の「やわらかいメロディー」が、自画像に宿る最高の体勢というのは、やはり「見返り美人画」のようなポーズにあると思います。

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by Sir Joshua Reynolds


この絵の画廊の解説ボードには、「画家の自信が窺える」という類の文章がありました。
私はこの絵よりも、最初の男性の絵の方が間違いなく好きなのですが、ただ、この絵には「傲慢さ」とか、「権威」のようなものも感じるわけです。
当然、画家はそういった自分を「描かない」ことも可能なわけですが、あえてそれを描いた。
だとすると、この画家にはもしかすると、そういう権威的な自分に対しての若干の「内省」が働いていたのかもしれない、とも読めるのです。
画家が、自らの性格の負の部分を、意図的に表出することで、現実の自分の生活を諌める、というような効果も自画像にはあると感じた一枚です。

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