† メディア論 †

『キュレーションの時代』における、「情報の聖域」の在り処をめぐって

h2_55oo_21_1.gif

by Georges Seurat


『キュレーションの時代』を読んだので、以下に本書やその周辺から私が考えたことを記録する。
はじめに断っておくが、この本はAmazonで2011年2月24日現在、メディア関連の書籍で一位にランキングされているので、既に読まれたユーザーが多いことが想定される。
「キュレーション」や「チェックイン」といった本書で登場する用語については、他のブログやツイッターでも数多く紹介されているので割愛する。
私が考えたことのみ、というよりも、感じたことのみを書き残す。

『キュレーションの時代』、これは「新書」である。
そう、ニーチェが「新書には警戒せよ」と注意を促した、あの新書だ。
「キュレーション」というのは、一次情報を自分なりに抽出し、それを再発信するという作業である。
ウェブ内の厖大な情報の海から、自分にとって必要かつ有用な「海路」を見出し、独自の「海図」を制作し、新しく発信する。
そのためのツールは、ツイッターやフェイスブックなどに代表されるソーシャルネットワークであり、本書はこれらの新しいツールに「あっさりと従順に迎合しつつ、まるで子羊の如く」、染まり、幾つかの重要な別の作業を忘却している。
それはウンベルト・エーコが『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の中で発信していたような、ある種の「書物崇拝」に対する畏敬の念の黙殺である。
実際に、本書の「引用文献」を見れば判るが、そのほとんどが、二次文献である。
原典や原著でメディア論について触れた痕跡すら存在しない。
しかも、大半が同じ「新書」を読んで、いわば二次的、三次的な「加工」を経て獲得した情報に依拠している。
佐々木氏のいう「キュレーション」は、原理的には、「本を読まなくてもネットの中で同質の情報に与れる」というものだ。
彼はコラムニストであるので、ビジネス向けの最新鋭のメディアニュースには常に敏感である。
いわば、「軽い情報」を収集する技術に関しては一流だ。
でも、ここには、スローな重い情報、すなわち一次情報を見過ごして、ただ凡庸に現代のネット革命を謳歌している、一人の「元新聞記者」の姿が見えるだけである。

私は基本的に、ネットは「自分の考えを整理するための空間」だと認識している。
佐々木氏のいっている、「他者の視座にチェックインして」、まだ誰も見出していないようなマイノリティな情報を新しくキュレーションする行為――これは実は、無意識的に今、ほとんどの若者がネットの中で行っていることである。
改めていうまでもないのだ。
例えば、私は小説家志望なので、定期的に投稿サイトに作品を投稿するが、こうしたサイトも一つの「ビオトープ」として見ると、私もその中で一個の情報を発信する「メディア」に他ならない。
同じような構造が、それぞれの趣味や専門分野に応じて細分化している。
キュレーションというのは、判り易く私なりにいい直すと、「読んだ本だけでなく、ネット内の有用な情報も含めて、ブログやツイッターで自分なりの言葉で消化して再発信しよう」という、それだけのことである。
だとすれば、既に私は数年前からキュレーターだったのであり、もう何人もキュレーターを発見している。

私がむしろ考えたのは、本書のラスト辺りで登場する「ローカリズム」を収斂したポストグローバル社会への、あっさりしすぎている言及についてである。
私は以前から、カルト的に「Page not found」というHttpステータスコードの「意味の無さ」について関心を持ってきた。
これは、「ページは見つかりませんでした」という、意味であり、「4 0 4」とも表示される。
世界中に存在する圧倒的多数のユーザーは、このページを見ると、「探していた情報が見つからない」と考えて、閉じる。
だが、ここには「ローカリズム」の究極形態を示唆する、一つの神秘が眠っている。
ネットの中では、「有用な情報」のページランクは高い。
「不必要な情報」は、そもそも開かれない。
これは、ツイッターでもフェイスブックでも同じだ。
「人気の無い」、「フォロワーの少ない」、「コメント数の低い」、そういうサイトは、要するに「価値が無い」のであって、情報としては有用ではないと判断されがちになる。
その最終形式、というよりも「ウェブ画面の廃墟」として、いうなれば「ページは見つかりませんでした」は存在している。

このページは、デリダのキータームでいえば、絵画(=ネット全域)における、額縁「以下」の価値もないものであり、ローカリティにおいても「残滓」であり、「ガラクタ」であり、「廃棄物」である。
しかし、私はそうであるからこそ、このページには、ネット社会の「盲点」が潜んでいると直観し続けてきた。(星空文庫に、これをテーマにした作品を四つほど掲載しているが、黙殺している者が多数である)
それは、このページが、常に「情報の死」を感じさせる「墓地」としての意味を担うからである。
「情報」が、「表示されないということ」、これはソーシャルネットワーク時代における、まさに痛烈なアイロニーに他ならない。

だが、私は既にこのページにすら、独自に意味付けして、こうしてキュレーションしてしまっている。
私もまた、聖域を侵犯する、異教の血を流す者に過ぎないのであろう。


関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(2)



~ Comment ~

No title

おもしろい。
[2011/02/25 01:50]  z  URL  [ 編集 ]

Re: No title

> おもしろい。

どうもありがとうございます^^
[2011/02/27 12:49]  tomoichiro suzumura  URL  [ 編集 ]















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next