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05/24のツイートまとめ 

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sempreinparo01

ヘーゲルにとって「主婦たち」とは、街路にある特定の人物が通るとその日は決まって「雨が降る」、あるいは焼き肉を食べるとその日は決まって「雨が降る」、ということを信じている存在として規定されます。この奇妙にも具体的なエピソードは、おそらくヘーゲル自身が「主婦たち」から耳にしたもの。
05-24 22:09

一般的に同じような喩え話やメタファーが何度も繰り返し出てくると冗長さにつながってしまうので、一次推敲の段階で別の喩え話などに変えたりして工夫するものだと思うのですが、アルトハウスのヘーゲル伝にもあったように、本当に推敲さえままならない逼迫した状況下にあった気もします。
05-24 22:04

『精神現象学』の「理性」章に登場する数少ない喩え話の中で、「主婦たちの雨占い」は少なくとも三度(熊野訳ではp496,p521,p522)も登場しているのですが、実はほぼまったく同じ表現になっています。これは加藤尚武が言っていたように、いわゆる「推敲不足」に起因するのでしょうか...。
05-24 21:55


05/23のツイートまとめ 

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sempreinparo01

「アンソーシャル ディスタンス」(『新潮』2020.06)を読んでいると、コロナ禍の緊張感の中でトリビアルなメロドラマが描かれていて、金原ひとみもずいぶん丸くなってきたなと思いきや、随所に『アッシュベイビー』や『オートフィクション』の時期のコスメティックな文体が垣間見えて良い。
05-23 22:58


05/13のツイートまとめ 

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sempreinparo01

ちなみに七年以上書き続けている長編小説『波打ち際へ』は419000字(1047枚)で、ほぼ現在のヘーゲル論に近い分量。基本的に私の執筆は論文と小説の双方向性のバランスで成立している気がします。
05-13 11:16

執筆中のヘーゲル論『思弁的転回後のヘーゲルの可能性』(仮題)の総文字数は現在463416文字(400字詰め原稿用紙約1159枚)に達しましたが、これは鹿野ドゥルーズ論(約2500枚)の半分程度の分量。やはりヘーゲルには今後もじっくりと腰を据えて取り組んでいく必要があると実感します。
05-13 10:58

ラヴクラフトについては、ハーマンの『怪奇実在論』やウエルベックの紹介によって最近新たに現代思想界隈でも再評価が高まっているので、名前は知っているけれど俗っぽくてどうにも手が伸びないという方は、この機会に最良の訳者による新潮文庫版をお勧めします。
05-13 08:29

萩原朔太郎の「猫町」にも、やはり街が暮色に染まる頃合に、今こことは微妙に異なる世界に侵入してしまう様が描かれていて、夜でもなく昼でもない(夜でもあり昼でもある)夕暮れという時間帯に、なにか不思議な吸引力を感じたものでした。
05-13 08:21

最近眠る前に、ラヴクラフトを新しく出た南條訳で読み直しているのですが、「暗闇の出没者」にはやはり惹き込まれてしまいます。黄昏の街路を歩いているうちに、いつのまにか夢とも現とも名状し難い廃墟化した古い教会に足を踏み入れてしまい、そこで古の邪神崇拝の痕跡を発見してしまう...。
05-13 08:15


05/10のツイートまとめ 

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sempreinparo01

ジェイコブ・モアの《大洪水》(1787)も「啓示なき終末」を描いた点でメイヤスー的な「神の不在」と結び付けられています。ジョルダーノが『コロナの時代の僕ら』で述べたように、自然破壊と大量消費による疫病リスクの増大は、やがて本当にモアの黙示録的世界を招来することになるでしょう。 https://t.co/5bS6gizlqN
05-10 16:06

とりわけジョージ・フレデリック・ワッツの《希望》(1897)がメイヤスーの「亡霊のジレンマ」に結び付けられているのは興味深いです。ワッツはメイヤスーと同じく絶対的偶然性(ハイパーカオス)の力にこそ、この宇宙の真の秩序を見出していた先駆的な画家でした。 https://t.co/aXIIQLKhEP
05-10 15:52

SRの論客がテート・ブリテンから「崇高」をテーマにセレクトしたイベントが解説付きで公開中。ネガレスタニ、サッカー、マッカイ、ミエヴィル、モートンらが名を連ねています。自然災害、疫病、戦争、啓示などを画題にした作品群は、明らかに現在のコロナ禍と連続しています。https://t.co/g1rrDBHjDb
05-10 15:43

一方で、大江文学の研究史でよく言われてきたグロテスク・リアリズムについては、おそらく大江個人のパーソナリティの特殊性(狂気)も関係しているので、彼をモデルにすることは読み手にとってかなり危険だとも感じたりします。とはいえ、実はそこが私が大江に惹かれる真の理由でもあるのですが。
05-10 07:09

コロナ以後をレイトワーク的手法(レシ)で書く場合(日常生活により近い)と、『洪水は我が魂に及び』のようにロマン(日常生活により遠い)に近付ける方法の二つが少なくとも存在しますが、私自身はこの二つの異なる方法を大江はずっとひとつに総合しようとしてきた、というふうに考えています。
05-10 07:00

個人的に好みな人称は大江の使う「僕」ですが、この語り手が「長江古義人」(大江健三郎とは微妙に異なる作家)でもあるというズレがあって、しかもこの微妙なズレがフィクションへつながるコードとしても働いている、というところが大江が永遠に前衛であり続けている理由のひとつだと思います。
05-10 06:37

息抜きに『「雨の木」を聴く女たち)』を読み返したりしていると、レイトワークにつながるこの方法論は自分がずっと意識してきた想像的な私小説の醍醐味を圧縮しているような気がします。結局、読み手自身が現在をいかに小説を書くことによって生き延びるか、という誘いかけになっている。
05-10 06:29

とくにポスト・コロナ時代の思想という文脈でニーチェの必要性を感じているというよりも、単純に私はニーチェが昔から好きだったのでもう一度読み直しているかたちです。
05-10 06:14

最近はニーチェについて書いた箇所をヘーゲルにつなげたりして、少しずつこの二人についての章を増やしていければと思っています。昨日もプフォルタ学院時代のニーチェについての研究をチェックしていました。
05-10 06:08


05/01のツイートまとめ 

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sempreinparo01

時流に流されず、かつ時代思潮の半歩先を読むためには、かつて『パスカル的省察』でブルデューが主張したように、知識人ではなく「反省的に」民衆の声にこそ耳を傾ける必要があるのかもしれません。パスカルは、民衆の意見を嘲笑する知識人を嘲笑できた点で、つねにブルデューの導きの糸でありました。
05-01 23:18

ただ、これにより金融資本主義やグローバリズムの本質的欠陥が露呈した(それゆえ穏健な社会主義へシフトしよう)とする論調にはやはり早急さを感じざるをえません。ソ連崩壊の2年後に『マルクスの亡霊たち』(1993)が出た状況に準えると、「ハイエクの亡霊たち」もまたやがて徘徊し始めるでしょう。
05-01 23:11

ハーバード大の研究では有効なワクチンが生まれない限り、少なくとも2022年まで現況のような余談を許さない危機管理体制が持続するとされます。ガブリエルも主張するように、やはりコロナは現代思想を転回させるインパクト(21世紀は20年から開始したとする論さえある)を持っていると思います。
05-01 22:59

当初「自己意識」章までで完結させる予定だった『精神現象学』原案は、イェーナ時代のナポレオン侵攻や経済的困窮による自死の誘惑と隣り合わせでしたが、若きヘーゲルはむしろこうした外的かつ内的な危機を著述に活用することで、新たに「理性」章を加筆し始めました。今こそ模範にすべきエピソード。 https://t.co/UOP3ZZOdaH
05-01 07:19

リスボン地震(1755)から間もない時期に、荒廃した都市に廃墟美を見出す傾向は存在しましたが、これは『崇高と美の観念の起源』(1757)を初めとする崇高の美学の高まりと連動しているので、コロナ後の無人化した都市を審美化するような皮相な言説が登場しても驚くに値しません。 https://t.co/Oam0xYYmA6
05-01 06:32


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